その依頼を終えた日、俺は帰宅後もなかなか寝付けなかった。
原因は、思い起こすまでもない。
今までも、これと似たような任務をこなした後は、いつもこうだった。
慣れるものではないし、慣れるべきでないとも思う。
眠るのを早々に諦め、布団から起き上がる。
このまま、自室で塞いでいるのも気が進まない。
傍らで寝息を立てる桜を起こさぬよう、手早く身支度を整えると、俺は車の鍵を手に家を出た。
愛車のランサーを走らせながら、数刻前の記憶に想いを馳せる。
命を乞う懇願。それを拒絶した俺に向けられた、絶望の表情。
俺の背から伸びる蜘蛛の脚と、それが“彼女”を貫く感触。
無音に閉ざされた数瞬、虚空へと見開かれた眼――
自らが、一人の女性の命を絶った一部始終。
その悉くを、俺は鮮明に焼き付けていた。
――たとえ、その生が仮初のものであったとしても。
この日を、素直に暖かい気持ちで迎える事が出来るようになったのは、つい数年前のことだ。
世間で、生まれた日を祝う習慣があることは知っていた。
子供の頃、厳格を絵に描いたような祖父が、一年でこの日だけは、不器用ながらも精一杯の心を尽くしてくれたことも覚えている。
それでも、あの当時の俺にとって。
自らの誕生日とは、ただ年齢を重ねる節目にしか過ぎなかった。
少なくとも、2年前――18歳の誕生日までは。
2009年4月25日。
俺は本日、20歳の誕生日を迎えた。
〔承前〕
「――寅靖!」
何度目かの呼びかけの後、俺の意識は急速に現実へと浮上した。
視界が次第に焦点を取り戻す中、地下街の薄暗い天井が映る。
それを遮るようにして、見慣れた顔が俺を覗き込んでいた。
「……円?」
重く空気の澱んだ、薄暗い地下。
最後の一体を倒してもなお、戦いは終わらない。
長年封じられた死の臭いと、怨嗟の呻き。
悪しき気配が強まり、逆巻く怨念が新たなゴーストと化してゆく。
視線を向けた先、巨体に黄金の炎を纏った地縛霊の姿が見えた。
「新手――いや、真打登場ってとこだな。ハッ、上等だ」
たった今、リビングデッドを屠ったばかりの武器を構え、剛一が不敵に笑む。
この男の声は、如何なる逆境でも力に満ちている。
光の届かない地下においても、それは些かも揺らがなかった。
闇に溶けるように、雨が街を静かに濡らしていた。
依頼のメンバーと別れ、一人で帰路についた俺の服は、既にしっとりと重い。
降りしきる雨が、体の熱とともに奪っていったのだろうか。
戦いを終えた昂揚感も、幼い命を救った達成感も、今は無い。
湧き上がる感情は、内側からとめどなく溢れて、落ちていく。
熱く頬を流れる、その雫が。
己の涙と気づくまでに、かなりの時間を要した。
→リプレイ『カミさまを憎んだヒ』(やよい雛徒MS)
※今回は下記のSSとリンクした記事となっております。
この場を借りて、円嬢とその背後殿に深く感謝と謝罪を。
(謝罪の理由は本文中にて……)
→関連リンク【円サイド】:『昇る月』
元はマンションの建設予定地だったという『ゴーストタウン』。
打ち捨てられた工事現場は、やけに冷たい風が吹いていた。
既に日は沈み、まだ月の昇らぬ空は闇色で、辺りはどこまでも薄暗い。
見渡す限り、錆びた鉄骨が立ち並ぶだけのこの場所で。
俺は、一人の友人の姿を求めて、ただ、前へと進んでいた。
その百八つの鐘は、人が持つ煩悩や苦しみを払うといわれる。
一年の締めくくりとなる大晦日、俺は除夜の鐘を撞きに、凶峯慈の生家である寺まで足を運んでいた。
良かったら来ないか、と俺を誘ったのは凶峯慈だ。
今までも、本堂の大掃除の手が足りないからアルバイト代わりにどうだ、などと肩を叩かれることは多かったから、特に不思議なことではない。
ただ、都合がつかなかったのか、そもそも声をかけたのが俺一人であったのか。
鐘撞きの列に、知った顔は他に見当たらなかった。
→関連記事:戦場の言霊
六甲アイランドを舞台とした、“人狼”と“吸血鬼”の戦い。
“人狼”が召還した“フェンリル”は学園の能力者たちによってとうとう倒され、“吸血鬼”の拠点たる“影の城”は健在なまま、一応の決着を見た。
捕虜となった“人狼”たちの扱い、世界結界に影響するだろう“影の城”の今後……考えなければいけないことは多いが、まずは先にやることがある。
この戦争で、光庭からは雨姫兎や蓬琳を始めとして多くの重傷者を出し、他にも、親しい者・見知った者が幾人もそこに加わった。
本陣に戻り、まずは重傷者たちを順に見舞い、次いで、大きな怪我無く戻って来た者たちの無事を確かめる。
学園側から出た戦死者のリストに、俺の知った者が名を連ねることはなかった。
戦後処理が一段落した後、学園の計らいもあり、動く余力のある者たちは連れ立って神戸ルミナリエに足を運ぶことになった。
震災の復興と慰霊を目的に始まったとされる、光の祭典。
初日の夜に彩虹と二人で訪れてから、ここに来るのは二度目となる。
この日、俺たち牽制部隊とは別のルートを進軍していた彩虹は、無事に帰還を果たしていた。
長い戦いを終えて再会してから、お互いに語る言葉も少なく。
ただ、離れていた時間の空白を埋めるように、そっと、並んで歩く。
とりどりの光に照らされた、彩虹の横顔。
それは、先日に同じ場所で見た時より、若干、白く見えた。
→リプレイ『光の紀元~光が灯るその瞬間~』(櫻正宗MS)