〔承前〕
――この家さ、呪われてるんだよ。
夕暮れの庭。
塀の向こう側から、男の声が聞こえる。
見上げた塀は、幼い俺の背丈より遥かに高く。
よって、その反対側にいる声の主の顔を見ることは叶わない。
聞き覚えのある声ではなかったから、おそらく俺の知らない誰かだったのだろう。
男の言葉が自分の家を指していることに、当時の俺は気付いていた。
好意の欠片も感じられない声は、子供を不安にさせるに充分な負の波長を孕んでいたが、それでも俺は、庭に立ち尽くしたまま動こうとはしなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
この時の俺には確かめる術もなかったが、男の語る内容はそれなりに真実が含まれていた。
どこで聞きつけたのか、男は、俺の父とその兄たちが、如何に悲惨な最期を遂げたかを得々と語り出したのである。
一番上の伯父は、二十歳を過ぎたある日、突如として病に倒れ亡くなった。
道場の後継者であり、風邪ひとつ滅多に引かぬほど頑健を誇った男を呆気なく死に至らしめた原因は、皆目掴めなかったという。
二番目の伯父は、兄の死後まもなく、忽然と姿を消した。
自らが後継者となることを嫌って家を出たのだとか、事件に首を突っ込んで巻き込まれたのだとか、様々な憶測が流れたが、その消息は途絶えたまま、失踪後7年を経て法的な死を迎えた。
そして、三人兄弟の末っ子――ただ一人、健康上の理由で道場の後継者たる資格を持たなかった、俺の父親は。
妻子を伴って出かけたドライブの帰り道で当て逃げに遭い、妻ともども命を落とした。
警察の必死の捜査にも関わらず犯人は見つからず、事件は迷宮入りとなった――
――で、その事故で生き残ったガキっていうのがさ……。
続く男の言葉に、僅かに体が震える。
事故で両親を失い、ただ一人生き延びた子供。
それが自分であることは、嫌というほどわかっていた。
――5歳だかそこらのガキのくせに、全然笑いもしなきゃ、泣きもしねぇんだとよ。
俺の耳には、男の声しか聞こえない。
ただ、話しているからには相手がいるのだろう。
その誰かに答えるように、男は続ける。
――事故のショックでおかしくなったか……じゃなけりゃ、そいつが疫病神ってこったろ。親も可哀想になぁ。
嘲りを込めた笑い声。
いつしか、俺は己の拳を握り締めていた。
体の震えが、止まらない。
――心配しなくても、そう長生きしねぇよ。呪われてんだから、この家。
笑い声とともに、男たちの足音が遠ざかる。
いつの間に日が暮れていたのか、周囲は急激に暗さを増したようだった。
震える拳を握ったまま、5歳の俺は、未だその場を動けない。
――寅靖。
ふと、誰かが俺の名を呼んだ気がした。
〔続く〕