12月16日、午後5時過ぎ。
戦況は、激化の一途を辿っていた。
既に重傷者は多数。死者の数も、決してゼロではない。
視線の先には、闇を切り抜いたかのような影の城。
そして、それを喰らい尽くす勢いで、禍々しい咆哮を上げる巨大な魔狼の姿。
あの魔狼――“フェンリル”こそ、この戦争における最終目標だ。
能力者たちをもってしても、完全体のフェンリルを相手に太刀打ちはできない。
まずは、その力の源たる、3つの“魔狼儀式”を破壊せねばならず、主力部隊がそこを攻略している間、最低限の戦力でフェンリルを抑え続けるのが、俺たち牽制部隊の任務だった。
固く拳を握り、戦場へと一歩足を進める。
さっきまで、ともに戦っていた雨姫兎の姿は、今はここにない。
それでも、戦わねばならなかった。
あと、少しだけ時間を稼ぎ、もう1つ“魔狼儀式”が落ちるまで。
「一人で行く気か?」
背後からかけられた声に、足を止めて振り返る。
左目の下に刀傷のある、長身の男――榊の姿が、そこにあった。
「――まさか。俺はそこまで命知らずじゃあない」
内心で苦笑しつつも、肩を竦めて応じる。
視線を走らせた先、榊の傍らに、パートナーの姿は見当たらなかった。
「どうやら、同じ状況みたいだな」
互いに、今は一人。
自分の隣にあるべき者が戦いに倒れる様を、この目で見てきた。
「――奴らを潰しに行かないか? 相棒」
「ああ、行こう」
頷き、視線を移した先で、なおも荒れ狂うフェンリルの姿を認める。
これ以上、人狼たちの好きにさせはしない。
「……存分に、思い知らせてやるさ」
静かな怒りとともに、俺の唇から発せられた呟き。
それは、決意を篭めた反撃の狼煙だった。
“人狼”と“吸血鬼”。
欧州を本拠地とし、最近になって日本を訪れた二つの“来訪者”勢力。
この両者の対立が激化し、とうとう、それが大規模な戦争に発展するに至って。
“世界結界”の保護という目的のもと、学園はこの戦いへの介入を決めた。
決戦は、次の日曜日。
戦場での役割を分担する各ポジションの話し合いも、既に大詰めに近い。
慌しく準備を進める傍ら、俺は、ちょっとした時間を見つけては、先日の依頼の報告書を幾度となく読み返していた。
くるりと回る傘と、流れ出す血の赤。
揺らめく影絵を映す障子と、腕に巻かれた包帯の白。
――大丈夫。心配しないで、な?
二色に彩られた記憶は、依頼の翌日、包帯の腕を笑って振ってみせた神凪の声で締めくくられ。
その様子を、思い出すたび。
気の利いた言葉ひとつ返せなかった自分を、もどかしく思う。
→リプレイ『影絵織烏 暗』(ココロMS)
冷えた空気の中を、人々の織り成す熱気が包んでいた。
目を向ければ、そこには露店が立ち並び、温かい食べ物から一風変わった土産物まで、実にさまざまなものが売られている。
祭りの屋台を一目見ようと、駅前には多くの人たちがつめかけていた。
笛や太鼓に混じって、花火を打ち上げる低い音が響く。
花火が夜空に広がる様子に、傍らにいた雨姫兎が歓声を上げた。
「花火、もう始まってるな。さっそく行ってみようぜぇ!」
弾んだ雨姫兎の声に、背中を押されるようにして。
俺たちは、夜祭の喧騒の奥へと足を進めていった。
→リプレイ『―夜祭り―』(ツヅキMS)
【背後より】
某所から発展したとんでもない事態を唐突にSS仕立てにしてみました。
これまでの経緯は、〔ここ〕や〔ここ〕や〔ここ〕を先にご覧いただけるとわかりやすいかと思います。
素晴らしくノリの良いキャラクター達とその背後さん達へ心から感謝を!
自分で蒔いた種、という言葉がある。
口は災いの元、という言葉もある。
思いつきと勢いのまま、鴬生ら三人を集め、黙示録で任侠チームを企画したのが俺なら。
立ち寄ったゴーストタウンで鴬生を見かけて、そのあまりに凄まじい戦いぶりに、つい軽口を叩いてしまったのも俺だ。
――だから、これはその報いであり、自業自得なのだろう。
しかし。そうと分かっていても。
受け入れがたい結末というものは、確かに存在するのである。
じっくりと時間をかけて、蓬琳は出された食事を全て食べ終えた。
「たくさん……食べる、は……久しぶり……デス」
箸を置き、一息つくようにぽつりと呟く。
つまり、普段の食事は例の固形栄養食を、身体を最低限維持しうる分量だけ摂取しているということなのだろう。
味付けは濃すぎなかったか、と訊いてやると、蓬琳はまず顔を上げて俺をじっと眺め、次いで、何度も小さく頷いた。
「美味……デス、でした……デス」
仮に社交辞令であったとしても、その一言を聞けるのは嬉しい。
「――ああ、夕飯が終わって少ししたらそちらに連れて行くよ。
君には世話をかけるが、よろしく頼む……」
携帯電話を切り、水分や熱の届かない台所の片隅にそれを置く。
夕飯の支度にかかる前に、電話で彩虹へ事情を説明し、今晩は蓬琳を彼女のマンションに泊めてもらえるよう頼んだのだ。
彩虹も、現在は一人暮らしの身である。
蓬琳とも姉妹のように仲が良く、電話で話を切り出したところ、快く申し出に応じてくれた。
――今日は、ホウリンさんのパジャマを買って帰りますわ。
楽しそうに口調を弾ませる、彩虹の声。
それは、包丁を握る俺の耳に、余韻としてしばらく残っていた。
普段、我が家では俺が台所に立つことが殆どだ。
古くより『男子厨房に入らず』という言葉もあるが、何せ男子しか居ないのだから、四の五の言ってもいられない。
俺は別段料理が好きというわけではないが、かといって嫌いでもなく。
むしろ好き嫌いの次元を超え、それはごく日常の営みとして存在しているように思う。
彼岸の中日。
墓地には薄い線香の煙が幾筋も漂い、秋晴れの空へと溶けていく。
昼を過ぎて、彩虹と二人でここを訪れた俺は、まず彼女の婚約者であった“彼”を参り、その後、俺の両親と祖母が眠る墓の前へと足を向けた。
墓石を磨き、花を供えながら。
俺は、ここでいつもそうするように、墓に刻まれた文字を眺める。
それは、そこに眠る者たちの名と、それぞれの没年月日だった。
まったく同じ年、同じ日付に並ぶ両親の名前。
それからおよそ一年が過ぎた日付に、祖母の名前。
両親は交通事故で亡くなったと聞かされていた。
俺が赤ん坊の頃に家族三人の乗る車が当て逃げに遭い、両親はともに即死、俺だけが、左頬に傷を負いながらも奇跡的に助かった。
息子夫婦を一度に亡くした祖母の衝撃は大きく、まもなく後を追うように病死したという――
食い入るように墓石を見つめていた俺に、彩虹が気遣わしげな視線を向けてくる。
何でもないと、誤魔化して微笑おうとしたが、それは上手くいかなかった。
当て逃げ事故の“犯人”が、とうとう見つからなかったのは何故か。
その日に限って、事故現場に一人の人間も対向車もなく、目撃証言すら得られなかったのは何故か。
素人ですらわかりそうな状況の不自然さに誰一人気付くことなく、忘れられるように迷宮入りしたのは何故か。
――“世界結界”。
“非日常”の世界を、“日常”から覆い隠すための境界。
数々の疑念の答えは、その、たった一語に集約されていた。
「俺は――」
重い沈黙の後、彩虹の視線を避けるように、そっと目を伏せる。
心中のざわめきに突き動かされるまま、俺は初めて、その言葉を口にした。
「両親の事故はゴーストによるものだったと……そう、信じている」
“竜宮城”攻略戦――俺にとって、二度目の『戦争』。
この戦いで、学園は、以前の“土蜘蛛戦争”の倍にのぼる30名の死者を出した。
中に知人の名が含まれていなかった事を、手放しに喜ぶ気にはなれない。
友人・知人を辿っていけば、いずれは死者と関わりを持つ者に突き当たる。
去り逝く者、喪う者。
戦場において、この二者はどこまでも紙一重だ。
気を抜けば、たちまち自らがその仲間入りを果たすだろう。
いずれか一方か、あるいは両方か。
無事に戻って来た皆の顔を見られたことは、心から嬉しかった。
しかし、あれ以来。俺は時折、堪らなく恐ろしくなる。
“玉手箱”を手にした青年と、海底に眠る“竜宮城”。
御伽噺としか思えないこれらの単語が、この夏に頻発した海のゴースト事件の元凶だと、一体誰が信じるだろう。
“玉手箱”の名を持つそれは、古代の遺産たる“メガリス”。
その恐るべき力は、近海のゴーストを集め、やがて巨大な“竜宮城”を形成した。
このまま放っておけば、海はゴーストで埋め尽くされてしまうだろう。
一刻も早く“メガリス”を確保し、“竜宮城”を崩壊せしめなくてはならない。
数千人規模の能力者たちによる作戦。
『戦争』と呼ばれる戦いが、再び始まろうとしていた。