夏の太陽が照りつける墓地。
正午を少し過ぎたばかりのこの時間、他に人の姿はなく、蝉の声ばかりがやけに響く。
じわりと汗が滲む気温の中、俺はとある墓を目指して歩いていた。
ひときわ立派な墓石に、『白馬家』の文字。
“白馬 律”――白馬 旋の兄であり、翳の婚約者であった人が眠る場所だ。
その墓石と向かい合うように、顔を上げて立ち。
物言わぬ“彼”の視線を通して、俺は自分を見つめ直そうとしていた。
どれだけの時間を、二人で立ち尽くしていただろう。
腰から下は海水に浸かり、上半身は潮の匂いを染み込ませて。
気温は決して低くはないはずなのに、腕の中の体温だけがどこまでも冷たい。
翳が、微かに身震いをするのがわかった。
「戻ろう……」
ようやく泣き止んだ翳の顔を眺め、控えめに声をかける。
無言で頷く様子からは、先に見せた激しさは欠片も感じられなかった。
導かれるようにして辿り着いたのは、つい先日訪れたあの海岸だった。
月明かりの下、闇に浮かび上がるように、海中に立つ白い人影が見える。
どんなに暗くとも、間違えるはずがない。
それは、純白のウェディングドレスに身を固め、沖に歩いていく翳の後姿に他ならなかった。
やけに、気分の落ち着かない夜だった。
何をしてもろくに手につかず、早めに休もうとすれば目が冴えて眠れない。
息苦しさをおぼえた俺は、外の空気を吸おうと、軽く散歩に出ることにした。
滅入るほどに、鬱々とした状態が続いていた。
身体の傷は、まだ左肩に若干の違和感が残る他は、ほぼ完治している。
しかし、心に抱えた重荷は、少しも軽くなってはいなかった。
当然と言えば、当然の話だ。
自ら動かずして、解決できる問題ではない。
そうと判ってはいても。
俺はまだ、翳と再び向き合う勇気を持てずにいる。
一人で過ごす、音の無い夜。
カーテンが風に揺れる傍らで、俺は窓から空を見上げていた。
闇に浮かぶは、上弦の月――
俺が目を覚ましたのは、あれから一夜が明けた翌日のことだった。
重い瞼の隙間から光が差し込み、やがて見慣れた自室の天井が視界に映る。
みゃあ、という鳴き声に顔を向けると、布団の傍らに座ってこちらを窺う桜の姿があった。
闇の中、俺の意識はゆっくりと沈み続けていた。
身体の感覚は希薄で、痛みも寒さも、何一つ感じない。
見えず、聴こえず、指先に触れるものすらなく。
ただ、闇だけが深さを増してゆく。
拳がゴーストを捉えた瞬間、リボルバーガントレットの回転動力炉が限界を超えて弾けた。
貫き砕いた鎧の破片に混じって、ガントレットの装甲が血の飛沫を散らしながら宙を舞う。
背中の傷が、嫌な音を立てて再び裂けていくのがわかった。
ゴーストの消滅とともに、反動で大きく後方へと吹き飛ばされる。
もはや、受身を取る余力も残ってはいない。
そのまま、俺の身体は近くに立っていた柱へと激突した。
深手を負った背中をしたたかに打ちつけ、思わず苦痛の呻きが漏れる。
柱に背を預けるようにずり落ち、軽く咳き込んだところで、翳が駆け寄る足音が聞こえた。
酷く、時間がゆっくりと流れているように感じられた。
左の肩口から袈裟懸けに裂かれた背中の激痛、そこから溢れ出す血の熱。
衝撃に痺れる意識、右手に握ったトンファーの感触。
砕けかけた膝を支え、振り返りざま身体を捻るように一撃を叩き込む。
それは、俺の血に濡れた鉤爪を振りかざす地縛霊の顔面へと吸い込まれていった。
ゴーストの断末魔が響き渡り、最後の抵抗とばかり両の鉤爪を跳ね上げる。
弾かれたトンファーは俺の腕を離れ、やがて床に鈍い音を立てた。