彼岸の中日。
墓地には薄い線香の煙が幾筋も漂い、秋晴れの空へと溶けていく。
昼を過ぎて、彩虹と二人でここを訪れた俺は、まず彼女の婚約者であった“彼”を参り、その後、俺の両親と祖母が眠る墓の前へと足を向けた。
墓石を磨き、花を供えながら。
俺は、ここでいつもそうするように、墓に刻まれた文字を眺める。
それは、そこに眠る者たちの名と、それぞれの没年月日だった。
まったく同じ年、同じ日付に並ぶ両親の名前。
それからおよそ一年が過ぎた日付に、祖母の名前。
両親は交通事故で亡くなったと聞かされていた。
俺が赤ん坊の頃に家族三人の乗る車が当て逃げに遭い、両親はともに即死、俺だけが、左頬に傷を負いながらも奇跡的に助かった。
息子夫婦を一度に亡くした祖母の衝撃は大きく、まもなく後を追うように病死したという――
食い入るように墓石を見つめていた俺に、彩虹が気遣わしげな視線を向けてくる。
何でもないと、誤魔化して微笑おうとしたが、それは上手くいかなかった。
当て逃げ事故の“犯人”が、とうとう見つからなかったのは何故か。
その日に限って、事故現場に一人の人間も対向車もなく、目撃証言すら得られなかったのは何故か。
素人ですらわかりそうな状況の不自然さに誰一人気付くことなく、忘れられるように迷宮入りしたのは何故か。
――“世界結界”。
“非日常”の世界を、“日常”から覆い隠すための境界。
数々の疑念の答えは、その、たった一語に集約されていた。
「俺は――」
重い沈黙の後、彩虹の視線を避けるように、そっと目を伏せる。
心中のざわめきに突き動かされるまま、俺は初めて、その言葉を口にした。
「両親の事故はゴーストによるものだったと……そう、信じている」
17年前のあの日。
ゴーストが俺たち一家の車を襲ったのは、果たして偶然だろうか。
当時の事故の状況から考えると、両親を殺したのは、おそらく“妖獣”の類である筈だ。
“リリス”以外の種別とされるゴーストが、能力者、あるいはその素質を持つ者を嗅ぎ分け、明確に標的と定める事例は、現在のところ見つかっていない。
だから、運が悪かったと言えば、きっとそれまでなのだろう。
――だが、その“不運”を招いてしまった要因は?
ゴーストとも、能力者とも、およそ関わりがなかった家で、ごく平凡な人生を送っていた両親を、この“非日常”に引き寄せたものとは?
彼らの間に生まれ、後に能力者として覚醒を果たした子供。
――他ならぬ“俺”の存在こそ。
両親の運命と生死を分けた、“ただ一つの特異点”ではないか?
「俺は誰よりも早く、この戦いに加わるべきだった」
両親の命を奪い、間接的に祖母をも死に至らしめたゴースト。
俺が、それらと戦う力を持って生まれたというなら。
どうして、17年近くも、知らないふりを決め込んでいられた?
「ご自分を、責めないで下さい……」
彩虹の言葉に、ただ、首を横に振る。
「――俺は両親を覚えていない。
言葉を交わしたこともなければ、顔すら写真でしか知らない」
仮に俺が、両親を“非日常”へと巻き込んだ原因であるなら。
俺は、家族の死に責任を負うことになる。
事故現場には、運転席にいた父が急ブレーキの上にハンドルを切った形跡が残されていた。
後部座席に居た母は、俺が座るチャイルドシートに覆い被さるように亡くなっていたという。
二人が死の瞬間、俺を生かそうと最大限の努力を払っただろうことは、想像に難くない。
しかし、どんなに考えたところで。
ひどく胸が締め付けられはしても、涙は一滴も流れてこなかった。
両親に庇われて生き延びたという“事実”。
その命を奪ったのがゴーストであるという“真実”。
十数年の時を経てようやく、俺がゴーストと戦い始めたという“現実”。
そこまでを知ってもなお、俺の心は奥底が凍てついてしまっている。
人として、それはあまりに情に欠けるのではあるまいか。
――だから。せめて、戦い続けることでしか。
「償う方法が、他に思いつかないんだ……」
「生きることですわ」
絞るように発せられた一言に、彩虹の声が重なる。
上げた視線の先、彼女の銀の瞳が、哀しいほど強い光を湛えていた。
「命をかけて護られたことに報いる為には、
生き抜く事しか出来ないと……そう、思うのです」
彩虹もまた、ゴーストに婚約者を奪われている。
同様の“事実と真実”を味わい、“現実”を共有する者として、その言葉には重みがあった。
ゆっくりと、深呼吸を一つ数えて。
顔を上げたそこに、俺がいま護るべきもの、ともに生きたいと願う存在がある。
喪わぬために。喪わせぬために。
今はただ、全力を尽くそう。
「……長々と、とんだ話を聞かせてしまったな」
気付けば、時刻は夕暮れへと差し掛かっている。
そろそろ帰ろうと彩虹を促すも、彼女はなかなかその場を動こうとはしない。
「少し、待っていただけませんか」
「――?」
首を傾げる俺を真っ直ぐに見て、彩虹が柔らかく微笑む。
「一曲だけ、歌わせて下さい……」
いつしか人の流れが絶えた墓地に、流れ出す歌声。
それは、先の彼岸に、ここで初めて聴いた“アヴェ・マリア”だった。
喪われたものたちへの、鎮魂の想いを乗せて。
澄み渡った旋律は高く、どこまでも響いていくように思われた。
【♪点灯夫/ZABADAK】