冷えた空気の中を、人々の織り成す熱気が包んでいた。
目を向ければ、そこには露店が立ち並び、温かい食べ物から一風変わった土産物まで、実にさまざまなものが売られている。
祭りの屋台を一目見ようと、駅前には多くの人たちがつめかけていた。
笛や太鼓に混じって、花火を打ち上げる低い音が響く。
花火が夜空に広がる様子に、傍らにいた雨姫兎が歓声を上げた。
「花火、もう始まってるな。さっそく行ってみようぜぇ!」
弾んだ雨姫兎の声に、背中を押されるようにして。
俺たちは、夜祭の喧騒の奥へと足を進めていった。
→リプレイ『―夜祭り―』(ツヅキMS)
その数刻前。俺と雨姫兎は、近くにある廃校の“ゴーストタウン”を訪れていた。
祭りが本番を迎える夜になるまで、ここで時間を潰そうというわけである。
同じく、これから祭りに向かう者たちが多いのだろうか。
普段は人が立ち入ることのない廃校も、今日は若干賑わっているように思える。
同業の能力者たちが増えたところで、相手をするゴーストの数は普段とあまり変わりない。
工作室に新たなゴーストの群れを認め、雨姫兎が愛用の戦斧を頭上で旋回させた。
巻きつけられた鎖が、硬質な金属音とともに風を切る。
それを、視界の端に認めて。俺は、向かう敵の一体へと狙いを定めた。
労働者風のゾンビがスコップを振り上げるのをかい潜り、懐目掛けて拳を繰り出す。
手甲に取り付けられた鉤爪がゴーストの身体を抉り、同時に、雨姫兎の戦斧が、叩き潰す勢いでそれを両断した。
出会ってから半年余りの間、幾度も肩を並べて戦った。
互いの呼吸は、そろそろ知り尽くしている。連携に淀みはない。
程なくして、工作室のゴースト達は一掃された。
「寅兄、大丈夫か?」
休憩をとる傍ら、気遣わしげな雨姫兎の視線に、ふと首を巡らせる。
どうやら、樹木の形をした妖獣を相手にした際、無数に伸びる枝の一本が掠めていたらしい。
左の肩口から背中にかけて服が破れ、その下にあった古傷から、薄く血が流れ出していた。
「掠っただけだ、問題ない」
「そっかぁ? それならいいんだけどな」
簡単なやりとりを交わした後、二人の間に言葉が途切れる。
夏の日、こことは別のゴーストタウンで負った、袈裟懸けの爪痕。
あの当時、旅に出ていた雨姫兎は、この傷の由来を知らない。
「――なあ、寅兄」
「ん?」
沈黙を破り、再び発せられた声に、顔を向ける。
雨姫兎の赤く澄んだ瞳は、真っ直ぐ、迷いのない色を湛えていた。
「俺は寅兄に背中を預けて戦う。だから、寅兄の背中は預かったぜ」
いつも通りの、屈託のない笑み。
その直後、雨姫兎は己の台詞を反芻してか、若干考え込むような表情を見せた。
「……って、なにか言葉が変だな?」
「いや、充分伝わるさ」
微笑って立ち上がりつつ、軽く伸びをする。
開いた傷痕から流れていた血も、今はほとんど止まっていた。
そろそろ、休憩を終えてもいい頃だろう。
俺の様子を見て、雨姫兎も、椅子代わりにしていた机から腰を上げた。
「俺の背中は、お前に預けるよ」
戦斧を肩に担ぐ雨姫兎に、そう、声をかける。
この先、ゴーストを何体相手にすることになろうと。
“弟”が隣に居る今は、負ける気がしなかった。
「――さあ、行こうか」
夜祭は、そろそろ終わりに差し掛かろうとしていた。
迫力ある屋台行列、夜空に咲いた花火。
それらの興奮が、今は余韻となって会場を包んでいる。
次第に引いていく人の波とともに、この祭りも幕を閉じていくのだろう。
「また、来たいな」
帰り際、ぽつりと呟かれた雨姫兎の言葉に、俺も頷きを返す。
ふと感じた、一抹の寂しさを振り払うように。
「……そうだな。また、一緒に来よう」
今日という日が終わっても、続いていく明日がある。
血という鎖によらずとも、確かに繋がる絆がある。
――信じるものは、それでいい。