既に、辺りは薄暗くなりかけていた。
翳が去ってから、俺の心は大きく乱れ、揺らいでいる。
何故、ああまでして、彼女を引き止めようとしたのか。
何故、彼女に向けてあのような言葉を口にしたのか。
その理由は、俺にはわからなかった。
立ち尽くしていると、ふと、背後に人の気配を感じた。
反射的に振り向いた先、そこに白馬の姿がある。
「別に、覗き見るつもりじゃなかったんだがな……」
まさか、先程から俺と翳のやりとりを聞いていたというのか。
愕然とする俺に、白馬はやや押し殺した口調で「羨ましい奴だ」と言った。
「あんな弱いトコ、俺に見せてくれたことねぇからな……」
改めて問うまでもなく、それは翳のことを指しているのだろう。
言葉もない俺を睨むようにして、白馬が続ける。
「何とか、言えよ……」
軽い口調ではあったが、そこに含まれた怒気は隠しようがない。
「お前……翳のことを……?」
この期に及んで、我ながら間の抜けた質問だと思う。
案の定、それは言い終わるより先に遮られてしまった。
「――お前の事を訊いてるんだ。俺のことはどうでも良い」
そのまま畳みかけるように、白馬は止めの一言を放つ。
「あの人に――惚れたのか?」
心のどこかで予想していたこととはいえ、衝撃は大きかった。
俺自身、まだ、己の感情を理解できずにいる。
そんな状態で結論を出せるわけはないが、ここでいい加減な答えを返すわけにもいかない。
迷った挙句、俺はようやく口を開いた。
「正直なところ……まだ、よくわからん。
だが……放っておけないと思ったのは確かだ……」
「あの人は、簡単じゃないぞ」と、白馬が言う。
「兄さんの存在があったから、あの人は今まで死なずに済んでる。
けどその為に、自分で歩くことができない……」
――その隙間に入り込むのは、容易ではない。
どこか諦めたような白馬の言葉に、俺は軽い反発をおぼえた。
だからといって、翳をあのまま見過ごせるはずがない。
「やり方間違ったら、即終了だ……それも判ってるのか……?」
「何もしなかったとして、結果は同じじゃないのか」
「……終わりを早めるだけでも、同じことを言うか?」
「やってみなければ、わからんだろう……!」
今の翳は、大きく亀裂の入った硝子の塔なのだろう。
下手に触れれば壊れるが、仮にそっとしておいたところで、亀裂が塞がることはない。
ただ崩壊の時を黙って待つのは、俺には耐え難かった。
「なら、何があっても迷うんじゃねぇぞ……?」
「……迷いは、しない」
白馬の言葉が、ずしりと重く響く。
既に、腹は括っていた。
この想いの正体が何であれ、俺にはもう、それを貫くしかできないのだと。
「なら、良い……」
俺の返答を聞き、白馬はようやく肩の力を抜いた。
「ま、戦う前に白旗を上げたやつが言う台詞じゃねぇな」
自嘲気味に苦笑するその様子は、普段よりどこか小さく見える。
「やはり、お前もか……」
「……ほっとけ!」
ばつが悪そうに言い捨てる白馬を、笑う気には到底なれなかった。
【♪ガラスの森/ZABADAK】