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	連作のSS(サイドストーリー)、全10話。
	時間軸としては3月初旬を想定。
	
	重めの内容で、若干のアンオフィ成分を含む可能性があるため
	ご覧になる際はその旨をご了承下さいませ。
	
	なお、作中にご登場頂いた他PL様のPC、NPCについては
	PL様ご本人より事前に許可を頂いております。
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	〔承前〕
	
	【Strong-will ―決意】
	
	渡瀬が語った、渕埼の血に潜む“呪い”。
	それを一笑に付すことは、俺には出来なかった。
	
	俺自身が、物心ついてからずっと――その“呪い”に縛られてきたからだ。
	
	人の輪に入っていくことが出来なかった子供時代。
	他の子のように笑えず、他の子のように泣けずに。
	向けられた悪意に拳で応じることしか出来なかった、あの頃。
	自分は何かが異質な存在なのだと、漠然と感じていた。
	
	だから。能力者として覚醒した時、俺は心のどこかで安堵したのだ。
	戦うことしか出来ないなら、死ぬまで戦い抜けば良い。
	それが俺の命の使い道であり、今まで生きるのを許された理由なのだと、信じて疑わなかった。
	
	――それが単なる逃げでしかないことに、気付かされるまでは。
	「師匠ー―――――――――――っ!!」
	
	叫び声が響くと同時に、渡瀬の背後に鋼鉄の聖母像が現れる。
	『鉄の処女』と呼ばれる聖母像が扉を開き、無数の針が並ぶ内部へと渡瀬を押し込もうと動いたが、彼は悠然とこれを避けた。
	
	続いて、飛び込んできた今日介が三日月の軌跡を描いて蹴りを放つ。
	動じる様子すら見せず、渡瀬は軽快なフットワークで第二撃をかわした。
	全身の筋肉が肥大しているにも関わらず、その動きは並みの能力者より数段速い。
	
	俺と渡瀬の間に割り込むように着地した今日介に向けて、思わず苦笑が漏れた。
	「……先に帰れと言っただろう」
	「いや、だって何か様子おかしかったし師匠」
	
	どうにも、俺は隠し事が出来ない性分であるらしい。
	言葉に出さなくても顔や態度に書いてある、と過去に何度言われたことか。
	こういう時くらいは、完璧に隠し通したいものである。
	
	「それは良いが、乱入してくるならせめて当てろよ。掠りもしてないじゃないか」
	「えー。師匠だってピンチっぽかったじゃん」
	「うるさい」
	
	他愛の無いやりとりの中、次第に冷静さを取り戻してきた自分に気付く。
	ある意味では、今日介に助けられたといえなくもない。
	本人に言ったら図に乗るので、口にはしないが。
	
	「邪魔が入ったようだな」
	
	興を削がれた様子で、渡瀬がそっけなく言った。
	「まあ、返事を急かすつもりはないさ。ゆっくり考えるといい」
	破れた上着を拾い上げ、彼は戦闘態勢を解いていく。
	筋肉の肥大が収まり、常人と変わらない体型へと戻るのが見えた。
	
	「――考えるまでもありませんよ」
	「ほう?」
	
	踵を返しかけた渡瀬の足が止まる。
	振り向いた彼の視線が、どこまでも鋭く冷たい。
	怯むことなく、俺は言葉を続けた。
	
	「あなたの目的が世界結界の破壊である以上、協力は出来ません」
	「自分が死ぬことになっても、か?」
	
	――口をついて出たのは、確固たる意志。
	
	「死にませんよ。少なくとも、まだ死ぬと決まったわけじゃない」
	
	体内の『気』を開放し、虎の縞模様に似た紅の紋を全身に浮かべる。
	流れに沿って集約した『気』が、紅蓮の炎となって俺の右拳を包んだ。
	踏み込みざま、渡瀬の眼前に拳を突き出し――寸前で止める。
	
	この一撃は、先の返礼だ。
	真の戦いはこれから。なお身構える俺に、渡瀬の声が重なる。
	
	「交渉決裂か。残念だよ」
	
	彼が寂しげに目を伏せたのは、ほんの一瞬。
	直後、一切の感情を殺した冷徹な視線が、俺を真っ直ぐ射抜いた。
	
	「別の形で決着をつけよう。2日後の朝、この場所で」
	「……承知しました」
	
	踵を返して歩み去る渡瀬の背を、俺は身構えたまま見送る。
	彼は一度足を止めると、振り返らずに言った。
	
	「一度決めたらテコでも動かない――お前という奴は昔からそうだったな、“情智”」
	
	渡瀬の背から、押し殺した笑い声が漏れる。
	「お前を、この手で殺すことになるなんて……本当に残念だ」
	
	言葉とともに震える肩は、泣いているようにも見えた。
	
	
	
	渡瀬が去り、その姿が完全に見えなくなってから。
	俺と今日介は、ほぼ同時に大きく息をついた。
	
	「師匠、大丈夫?」
	「何とかな。そう深い傷じゃあない」
	
	首元の傷は、先に虎紋を発動した時に開放した『気』により塞がっている。
	無論、あのまま爪で貫かれていたとしたら、こう簡単にいかなかっただろうが。
	
	「あの人は? 誰なのさ、師匠」
	「渡瀬忠義。遠い昔に、渕埼流古武術の師範代だった男だ」
	「その人がどうして、リビングデッドに?」
	「さあな。俺も詳しいことは知らないが……」
	
	――“俺たち”を拒むこの世界に、殺されたんだ。
	
	俺の脳裏に、渡瀬の言葉がよぎる。
	
	――“俺やお前のように”、特異な能力を持つ者を拒む力をそう呼ぶのなら。
	
	間違いない。渡瀬は――。
	
	「場合によっては、“見えざる狂気”の影響かもしれない」
	「見えざる狂気って……え、ちょっと待ってよ」
	
	それが意味することを悟ったのか、今日介が声を詰まらせる。
	俺は大きく頷いた後、その結論に至った考えを告げた。
	
	渡瀬の話を聞く限り、彼は生前から世界の真実を知っていた節がある。
	銀の雨が降り始めた時期と渡瀬の実年齢を考えたら、彼が能力者として覚醒し、狂気に侵された可能性は否定できない。
	
	「それに――そう考えたら、彼が渕埼流を破門された事件にも説明がつく」
	「破門?」
	「そうだ。あの人は、街で起こした暴力事件によって破門されたと、俺は祖父から聞いた」
	
	渡瀬は、幼い俺の目から見ても尊敬に足る男だった。
	武術家としても、人としても。
	両親を早くに亡くした俺を、渡瀬は実の息子のように扱ってくれたし、俺もまた、厳しすぎる祖父より渡瀬に心を許していたように思う。
	
	今思えば、その渡瀬が俺のもとを去ったことも、俺の幼少期に暗い影を落とした一因だったかもしれないが――それはまた、別の話だ。
	とにかく、俺には渡瀬が軽々しく暴力を振るったという事が信じられなかった。
	
	「それを聞いた時は、奥さんと子供を亡くしたショックによるものだと思ったんだ」
	「奥さんと子供? ……亡くしたって、まさか」
	
	今日介の表情が凍る。
	俺は、それには直接答えずに先を続けた。
	
	「あの人がどのようにして死を迎えたのか、俺にはわからない。だが、彼の死が、事件を起こして道場を去る直前だと仮定すれば、すべて辻褄が合うんだ」
	
	能力者として覚醒し、徐々に狂気に侵される。
	その最中に死亡し、銀の雨で蘇る。
	リビングデッドの本能により、愛する妻子を喰い殺して力を得る。
	少しずつ理性を失っていく中で、はずみで暴力事件を起こす。
	
	――そんな筋書きは、考えられないだろうか。
	
	「……そんな」
	「全ては可能性にすぎない。俺も、そうでないことを祈っている」
	
	そして――道場を破門された渡瀬は。
	彼に残された、ただ一つの執念で仮初の命を生き続ける。
	ひたすらに人の命を喰らい、膨れ上がる狂気の狭間で、時を待ち続ける。
	
	無二の親友であった、渕埼情智と決着をつける日を。
	既にこの世を去った親友の代わりに、その血に連なる俺と戦う日を。
	俺が師範代となり、亡き友と同じ年齢に成長する、その時を。
	
	「でもさ……師匠」
	「何だ」
	「どっちにしても、あの人は長い間リビングデッドだったわけだよね」
	「そうだな」
	
	一口にリビングデッドと言っても、その強さには個体差がある。
	愛する者の血肉を得て肉体の腐敗を防ぎ続けている者は、それを得られずに腐りかけた者よりも強力なのが常だった。
	
	つまり、15年以上もの間をリビングデッドとして過ごしてきた渡瀬は、それだけ大きな力を蓄えてきたことになる。
	生前から武術道場の師範代であり、しかも能力者であったとなれば尚更だ。
	その実力は、先の戦いでも充分に感じ取れた。
	
	「そんな人を相手に、どうやって……」
	「何とかするさ」
	「いや、何とかって、んな適当な」
	
	事もなげに言い切った俺の声に、慌てた今日介の声が重なる。
	
	「いいから帰るぞ。早くしないと日が暮れる」
	
	話を強引に打ち切り、俺は今日介を伴い家路についた。
	
	〔続く〕