大会の前日、出場チームのメンバーとの打ち合わせを終えた俺は、そのまま白馬の家へと向かった。
先日から始めた、アコースティックギターの練習のためだ。
最近、暇を見つけて楽器に触れるようにはしているが、やはり一人では上達にも限界がある。
そこで、心得のある白馬に、手解きを頼んだというわけだ。
と言っても、事細かに教えを受けるわけではない。
俺が基礎のコード練習を繰り返している傍らで、白馬はいつもの如く楽器の調整などをしながら、こちらの音を聴きながら口頭で指導を行う。
お互い、そのくらいが一番やりやすいのだ。
この日も、白馬は銀のフルートを丹念に磨いていた。
それは、非常に使い込まれていていながらも大きな傷はなく、大切に扱っているであろう持ち主の人柄が窺える。
白馬は元より仕事に手を抜かない男だが、この時は普段以上に気を遣っているようにも見えた。
「客のか?」
「……いや、違う……客では、ない……」
歯切れの悪い返答に、つい、下世話な連想が浮かぶ。
「――女か?」
「女だが、俺のじゃない」
俺の無粋な問いに、白馬が苦笑しながらもフルートを磨き終えた時。
玄関のチャイムが鳴り、間もなく誰かがこちらの部屋に向けて近づいてくる気配があった。
おそらく、そのフルートの主なのだろう。
席を外すか、と言うと、白馬はそのままでいい、と答える。
そうやって部屋に入ってきたのは、背の高い女だった。
腰の下までふわりと伸ばした黒髪を、緩く一つに纏めている。
顔色はただ白いというより蒼白に近く、瞳は色が抜け落ちたような銀。
――翳(かげ)、と言うのだろうか。
隙のない姿の中に、どこか儚げな印象がある。
白馬に促され、俺は彼女と軽く挨拶を交えた。
「渕埼寅靖だ、よろしく」
「私(わたくし)、翳(かすみ)と申します。宜しくお願いしますね……」
名は体を表すとは、まさしくこの事だろうか。
俺が下らない事を考えているうち、翳は軽く頭を下げて白馬の部屋を辞していった。
その後、俺は白馬から翳のことを聞いた。
“能力者”であった白馬の兄が、彼女の婚約者だったこと。
白馬の兄が、昨年“能力者狩り”で命を落としたこと。
彼女が、婚約者の死の瞬間を目の当たりにしたこと。
白馬と翳は、白馬の兄の死とほぼ時期を同じくして能力者へと覚醒したらしい。
翳は蟲を、白馬は音を操るフリッカースペードの力を、それぞれ受け継いだ。
黒かった彼女の瞳が銀色に変化したのも、おそらくそれが原因だという。
「だから俺は……兄が許せない」
白馬は、はっきりとそう口にした。
死した者が、まだ生ける者に与える呪縛は強い。
生前に心が通い合っていたのなら尚更のこと、その苦しみは大きくなる。
だから、死してなお置き土産を残し、翳を能力者とゴーストの戦いに巻き込んだ、兄の所業が許せないのだと。
何が正しいのか、俺にはまだわからない。
ただ、世の愁いを全て包んだような、翳の儚い微笑は、どこか俺の心の隅に残っていた。
いつか、彼女が心から笑える日が来るのだろうか。ふと、そんなことを考える。
――それが、俺と翳の出会いだった。