彼岸ということで、両親の墓参りに行った。
本来なら、中日に祖父と共に向かう予定だったのが、野暮用でこの日に回さざるを得なかったのだ。
土曜の午後とはいえ、彼岸の最終日ともなると人の姿はまばらで、我が家の墓の周囲には俺を除いて誰もいない。
今にも降り出しそうな曇天の下、俺は久々に両親との時を過ごしていた。
墓石を磨き、花や供物を整え、線香を供えて手を合わせる。
普通であれば、ここで死した家族との対話などを交えるのだろう。
しかし、俺には両親に対して、語るべき言葉がなかった。
写真でしか知らない父母に、いったい何を話せば良いのだろう、という戸惑いと。
両親の死の原因が、俺自身にあったのかもしれない、という疑念と。
死した後もなお、何一つ報いることのできない申し訳なさに、俺はとうとう口を開くことができなかった。
雲が一段と厚くなり、風が肌寒さを増した中、灯していた蝋燭の火を消す。
屈んだ体勢で墓石をしばし眺め、そろそろ帰ろうと腰を上げた時、どこかから柔らかな歌声が聴こえてきた。
それは、聖歌だった。シューベルトの“アヴェ・マリア”。
日本式の墓石が立ち並ぶ墓地では、いたく不似合いにも思えるが、それでいて、この静寂に調和している。
まるで引き寄せられるように、俺は歌声の方へと足を進めていた。
やがて、一際立派な墓と、その前に立つ人影が視界に映る。
歌声の主は、黒いワンピースの喪服に身を固めた、背の高い女だった。
周囲などまったく目に入っていない様子で、ひたむきに喉を震わせている。
ふと視線を移すと、白く大きな墓石に“白馬家”と刻まれているのが読み取れた。
アヴェ・マリアを歌う女に、先日、白馬の家で出会った翳の姿がぴたりと重なる。
黒いヴェールで顔を覆ってはいたが、その儚げな雰囲気までは隠しようがない。
……だとすると、ここに眠っているのは、彼女の婚約者であった白馬の兄、なのだろう。
歌が終わり、翳がこちらを振り返って優雅に頭を下げる。
まるで、舞台から観客に礼をするように。
「――すまない、立ち聞きするつもりではなかった」
「構いません……このような所でお会いするとは、縁がありますね……」
ばつの悪い思いを抱えたまま立ち尽くす俺に、翳はお参りですか、と声をかけた。
ああ、と頷き、当たり障りのない答えを返していくうち、ふと、気が緩んだというのだろうか。
到底ここで言うつもりなどなかった台詞を、俺は知らず口にしてしまっていた。
「……休日に来たところで、この程度の親孝行しかできないんだがな」
両親の話など、付き合いの長い宣昭にすらしたことがない。
どうして知り合ったばかりの翳に、こんなことが言えたのか、俺にはまったくわからなかった。
戸惑う俺に、翳は静かな声で言う。
「きっと、想う気持ちは届いていると思います」
――果たして、本当にそうだろうか。
両親を死に追いやった、という疑念から逃れるために。
俺は、届けるべき想いを持てないでいるのではないか……?
「そうだと信じていなければ、哀しすぎます……。
自分が信じなければ……他の誰も、その気持ちを代わってはくれないのですから」
翳の言葉は、まるで自分自身へと言い聞かせるようでもあった。
“能力者狩り”で婚約者を失い、哀しみに暮れながらも、その能力を受け継いで生きる者の想い。
押し殺した気丈さが、むしろ、心に迫った。
その後、俺と翳は簡単な挨拶を交わして別れた。
とうとう霧雨が降り出し、見慣れた街を灰色に濡らしていく中で。
俺は、翳の病的なまでに白い顔と、彼女が口にした言葉をただ思い浮かべていた。
【♪アヴェ・マリア/シューベルト】