「渕埼、使えそうな指をしているね。ギターは?」
学園祭が近付いてきたある日、俺にそう声をかけたのは御車だった。
光庭では、紅茶や菓子などを用意して木陰を憩い場とし、演出の一貫として、可能な者は楽器演奏でも、という話が出ている。
音楽に精通したメンバーが多い光庭においては自然な流れであっただろうが、まさか、そこで自分に振られるとは思わなかった。
楽器は所持してはいるものの、俺のギターの腕はお世辞にも褒められたものではない。
「折角の機会でもあるし、聴かせたまえ。天粒も喜ぶ」
さらりと、しかし有無を言わせぬ調子で。
“天粒”と名付けられたモーラットを撫でながら、御車はそう口にした。
「……了解した」
勢いで首を縦に振ってしまったのは、モーラットのつぶらな瞳の威力ゆえか。
かくて、俺は学園祭でギターを持ち出す羽目に陥ったのだった。
やる、となれば、当然ながら演目を決めなくてはならない。
手持ちの楽譜を引っ張り出してはきたものの、どの曲もまだ、俺の手に余る。
大樹に背を預け、頭を絞っていたところ、白馬が声をかけてきた。
「何唸ってんだお前」
俺から楽譜の束を取り上げ、それらにざっと目を通す。
間をおかず、呆れたような視線と、無遠慮な一言が頭上から降り注いだ。
「本当にこの中から選ぶつもりか? お前の腕じゃ無理だろ」
楽譜はいずれも弾き語り用で、一人で歌と伴奏の双方をこなさなくてはならない。
現状の俺の腕では、歌うことはおろか、伴奏すらおぼつかないのは目に見えている。
返す言葉に詰まる俺を無視して、白馬は楽譜を選んで手に取った。
「このあたりが手頃かな」
何事かを考えた後、人の悪い笑みを浮かべて俺を眺めやる。
「俺が手伝ってやるから、アヤコと組んでみないか?」
「……は?」
何故、ここで翳の名前が出てくるのか。
思わず間の抜けた声を上げた俺に構わず、白馬は続けた。
「お前は歌いながら弾けない、アヤコは伴奏がないから歌えない。
二人で組めばちょうど良いじゃねぇか」
「それは……確かに理に適ってはいる、が……」
歌と伴奏を分けるなら、個々の負担は減る。
ただ、裏を返せば。いずれかの失敗が、両方に響くということでもある。
翳の歌を台無しにするような真似は避けたいものの、ここで「出来ない」とは言いたくない。
そんな俺の葛藤を見透かしたように、白馬は口の端を持ち上げて笑った。
「どうせ伴奏も独りじゃ無謀だろ。だから、俺が手伝ってやるって」
いちいち引っ掛かる物の言い方だが、迂闊に反論もできない。
黙り込んだ俺を横目に、白馬は早々に翳を掴まえ、交渉を始めていた。
「渕埼さんが宜しければ、私は構いませんが……」
差し出された楽譜と、俺の顔とを交互に見て、翳が言う。
その言葉に、俺もとうとう覚悟を決めた。
「俺一人では不安が大きいのは確かだ。もし良ければ、お願いしたい」
「――じゃあ、決まりだな」
してやったりとばかり、白馬が頷く。
その澄ました横顔に向け、俺は内心で大きく悪態をついた。
翌日の放課後、光庭で白馬が俺を待っていた。
「これ、アヤコからお前にって」
言いながら、手書きの楽譜を俺に手渡す。
ギターを二本に増やしたため、翳がアレンジを加えてくれたらしい。
慣れない五線譜に苦戦しながら、曲の流れを目で辿っていく。
どうやら、俺の負担は大分軽減されそうだった。
「……何だったら、タブ譜に直してやろうか?」
「要らん、これでいい」
白馬の申し出を反射的に拒絶した後、改めて楽譜に視線を落とす。
五線譜には、書き手に似て繊細な音符が、流れるように連ねてあった。
「あ、そ。――ま、頑張れよ」
――わざわざ、お前に言われるまでもない。
口の中で、そんな言葉を飲み込みつつ。
俺は楽譜を眺めながら、そこに書かれた音を追いかけていた。