――ほら、あの子は親がいないから。
両親の愛情が足りなかったのだと、したり顔で語る大人たち。
何度、そういった台詞が陰で囁かれるのを耳にしたことだろう。
笑わない、泣きもしない。
そんな子供など、異端でしかない。
大人たちにとっても、その息子や娘たちにとっても。
異質であるから、遠ざけられる。
ただ一人の例外は、小学校の時の同級生だった。
俺とはまるで正反対に、いつも満面の笑みを浮かべているような奴で。
あいつだけが、俺を恐れなかった。
別の中学に進学してから交友は途絶えたが、今頃何をしているのだろう――
「――野郎!」
俺の頭突きで、胸倉を掴んでいた男が鼻を抑えて大きく仰け反る。
残りの3人が色めき立つ中、俺は手が離れたのを幸い、一気に攻勢へと転じた。
正面から大振りに繰り出される拳をかい潜り、身を沈めてから顎に向け掌底を突き上げる。
振り返りざま肘をもう一人の鳩尾へと叩き込み、身体を回転させて残る一人に蹴りを見舞った。
身長差は間合いの差、体重差は威力の差になりうる。
だが、それが有利不利に働くのは、あくまで実力が五分である場合だ。
少々恵まれた体格を奢り、それのみに頼って己が力を磨こうとしない者たちなど。
何人立ち塞がろうが、敵ではない。
「くそっ、ナメ、やがって……!」
くぐもった声が、傍らから聞こえた。
先に頭突きを喰らわせた男が、鼻血を流しながら、こちらに剣呑な視線を向けている。
「殺して、やる……ッ」
その右手に、鋭いナイフが握られているのを目にした時。
一切の容赦が、俺の中から消え失せた。
真っ直ぐに突き出された刃の根元、伸びきった腕。
攻撃を受け流しつつそれを取り、勢いを利用して一度に捻り上げる。
ナイフは路面へと転がり、極めた関節からは、みしり、という音が響いた。
魔が差したように、物騒な思考が湧き上がる。
――いっそ、このまま折るか?
こんな下らん喧嘩にナイフを持ち出すような男だ。
放っておけば、いずれ取り返しのつかない事になるかもしれない。
――全て、解き放ってしまえ。鬱憤も、持てる力も。
此処に俺の居場所などない。
ならば、壊してしまって困る理由がどこにある?
嫌悪の視線も、敵意も、隔意も。
もう、たくさんだ。
男が必死に助けを求める声が聞こえたが、俺は力を緩めない。
あと、ほんの少し、この手を捻ってやれば終わる。
そうすれば、きっと。
男の甲高い悲鳴が、俺の耳を打った。
咄嗟に我に返り、慌てて極めていた腕を放す。
冷汗が背中を伝い、鼓動は悪い冗談のように、速く大きな音を立てていた。
俺は、今。一体、何をしようとした。
怒りに我を失って、引き返せない場所まで、足を踏み入れようとしたのではないのか。
戦慄が、心中を駆け巡る。
「お……覚えて、やがれ……“王子”が来たら、てめぇ、なんざ……!」
踵を返し、その場から去る俺の背中に向け。
腕を折られかけた男の捨て台詞が、涙混じりに聞こえた。
* * *
「しかし……“手負いの虎”がお前だったとは、な」
光の庭で、翳の淹れた紅茶を飲みながら、白馬が呟きを漏らす。
伊達との出会いは、俺たちの間に、ちょっとした接点を浮かび上がらせていた。
「――そしてお前は、“喧嘩屋の王子”か」
俺の言葉に、白馬は微かに苦い表情を作ってみせる。
まあ、無理も無い。
お互いに、隠してきた脛の傷を晒す羽目になったようなものだ。
「世の中、狭いものだな」
「……まったくだ」
出会ったのが、あの頃でなくて良かった。
力の意味も知らず、全てに目を背け、全てを遠ざけて。
ただ、怯えるままに牙を剥いていた時代に、敵として合見えることが無くて良かった。
――それだけは、心から感謝している。