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連作のSS(サイドストーリー)、全10話。
時間軸としては3月初旬を想定。
重めの内容で、若干のアンオフィ成分を含む可能性があるため
ご覧になる際はその旨をご了承下さいませ。
なお、作中にご登場頂いた他PL様のPC、NPCについては
PL様ご本人より事前に許可を頂いております。
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【Prologue ―再会】
“あの人”が道場を去ったのは、いつだっただろう。
俺が小学校に通う、さらに前だったろうか。
日付はおろか、年月さえ判然としないほどの遠い過去。
それでも、俺はあの時のことをはっきりと覚えている。
“あの人”は、別れ際、確かにこう言ったのだ。
――そんな顔をするな。お前が大人になったら、会いに来るよ。
必ずな、と念を押した彼の瞳。
穏やかな言葉にまるでそぐわない、冷たく鋭い視線。
いつも強く優しかった“あの人”が、初めて見せた表情。
その違和感を――俺は今でもずっと忘れられない。
「師匠、荷物多すぎだってば。車出そうよー」
肩に米の袋を担ぎ、反対側の手にエコバッグを下げた今日介が、またもや不平を漏らす。
食料の買い置きが大分減っていたので、稽古の後、今日介に買出しの荷物持ちを頼んだのだが、素直に了承したのは最初だけだ。
この30分で何度同じ台詞を聞いたか、もう数える気にもなれない。
「図体の割にだらしない奴だな。この程度の距離、車を出すまでも無いだろう」
「米10kgに醤油に野菜に……俺こんなに持てませんからー!」
それだけ大声を出せるなら、まだまだ大丈夫だろう。
まともに取り合わずに、買物客で賑わう商店街を歩く。
「買物はあと1件だけだ、我慢しろ」
「無理! 大体なんで俺ばっか重いの持ってんのさ」
ペットボトル類や米など、重い物は半ば意図的に今日介に持たせていたのだが、ここまであからさまだと流石に気付いたらしい。
「鍛錬は道場の中だけだと思ったか? 日々是修行というやつだ」
「師匠~」
「往来で情けない声を出すんじゃない」
今日介に構わず、俺は目的の肉屋に向けて足を速めた。
角を曲がると、子供の頃から慣れ親しんだ肉屋の古い看板と、商品が並ぶショーケースが見える。
肉屋の小母さんは接客中らしく、いつもの甲高い声に混じって男性客の声が聞こえてきた。
「――お姉さん、この鶏胸肉300グラムもらえる?」
「やだァ、お姉さんだなんて言われたら困っちゃうよォ。よぅし、100グラムおまけ!」
「本当? 嬉しいなあ」
その声に聞き覚えがある気がして、思わず客の後ろ姿を見る。
小母さんが、俺の来店に気付いて声を上げた。
「あらァ寅ちゃん、いらっしゃい」
幼少の頃から通っているためか、小母さんは今でも俺をちゃん付けで呼ぶ。
とっくに成人し、しかも実年齢より老けて見える俺を、小さな子供のように扱うのは勘弁願いたいのだが、今はそれを気にしている余裕はなかった。
小母さんと話していた客の男が、こちらを振り向いたからだ。
「もう、このお客さんったらアタシをお姉さんだって……」
浮かれた小母さんの言葉を聞き流し、男の顔を凝視する。
見間違えるはずのない、懐かしい姿がそこにあった。
「――渡瀬、さん」
渡瀬忠義(わたせ・ただよし)――かつて、渕埼流古武術道場の師範代だった人。
彼もまた、俺のことを思い出したようだった。
目を細めて、昔そのままの柔和な笑みを見せる。
「寅靖か? 大きくなったな」
会計を済ませた鶏肉の袋を手に、俺の方へ歩み寄る。
肉屋の匂いに混ざって、強く、香水の匂いがした。
「あいつにそっくりだ――」
遠い記憶の彼方から、突然に蘇る違和感。
嬉しげに口の端をつり上げた渡瀬の目は、少しも笑っていなかった。
〔続く〕