※エイプリルフールの仮想設定における連作SSです。
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〔承前〕
【The Vanishing ―全てを無に】
蔓の尖端が、スーツを容易く突き破って肉に食い込む。
電光剣で大半を切り払ったが、それでも3本ほど避けきれなかった。
背後にユエの動く気配を察して、振り向かずに叫ぶ。
「――来るなッ!!」
蔓を打ち込まれた場所から、痺れるような感覚があった。
動きが鈍ったところに別の蔓が巻きつき、全身を締め上げる。
「そこから動くんじゃない! 早く時を巻き戻せっ!」
俺の背後で、ユエの詠唱時計が唸り、時を刻む。
直後、蔓はびくりと震えて元の位置へと戻っていった。
“攻撃を受ける前の瞬間”へと、ユエが時を導いたのだ。
限定的に時間を巻き戻す――これが“クロックラビット・ノワール”の能力だった。
蔓の抵抗は凄まじく激しいものだった。
練り上げた“気”を放ち、衝撃で散らしても、僅かに残った一部が俺の手を阻み、核となる肉塊まで届かせない。
隙あらば俺に毒を打ち込み、腕に脚に巻きついて縛ろうとする。
その度にユエが時を巻き戻したが、次第にダメージは蓄積していった。
スーツには幾つもの穴があき、血が滲み出している。
「――まだ、だ」
まだ倒れられない。
この程度の痛みでは足りない。
己の願いのため、数多の命を奪ってきた俺だ。
俺が流させた血は、たったこれだけの血で贖うことなど出来はしない。
絡みつく蔓を手で掴み、無造作に握り締める。
失望させるな。貴様らの絶望はこの程度か?
怨んでいるのだろう?
苦しみから逃れたいのだろう?
ならば、俺を殺して思念を喰らうしかないぞ。
もっと怒れ。俺を憎め。
蔓を握ったままの手首に、別の蔓が巻きつき軋んだ音を立てる。
視界の隅に、見かねて飛び出してくるユエの姿が映る。
「――動くなッ、そこに居ろッ!」
来るんじゃない。
お前を、大切な相棒を、巻き添えにしたくない。
いや、ここまで来てしまえば、どちらにしても同じことだ――でも。
どうか、大人しくしていてくれ。
ようやく、溜まったツケを支払う時が来たのだから。
俺の願いは、とうとう叶うのだから。
――本当、に?
何かがおかしい。
俺の願いとは、何だ?
彼女を死なせないことか?
それとも――。
“俺自身を、この世から消し去ることか――?”
彼女を死なせ、数多の命を奪い、相棒を巻き込んだ。
俺の選んだ道は、行き着く先は――誰も、幸福になどなれない。
喉の奥から、低く声が漏れる。
俺は、嗤(わら)っていたのだ。
心に蓋をしていたものが、ゆっくりと開かれていく感覚。
溢れ出したそれは、奥底に潜んでいた狂気。
ああ、そうか――とっくに俺は、狂っていたのか。
彼女の死と同時に、俺の心も死んだ。
俺は動く死人に過ぎなかったのだ。あの日から、ずっと。
握り締めた蔓を、力任せに引き千切る。
俺もこいつらゴーストと同じだ。
とうに喪われた光を求めて、人に仇なすだけの存在だ。
何を恐れることがある?
俺は、再び嗤った。
続いて、声を上げて笑った。
狂気の笑声だった。
体内の“気”を再び目覚めさせ、力の流れに乗って“気”を練り上げる。
蔓を根こそぎ吹き飛ばし、肉塊が丸裸となった、その一瞬。
根元まで埋まるほどに右腕を突き入れ、ありったけの“気”を全て、肉塊へと打ち込んだ。
閃光が視界を焼き、轟音と衝撃が全身を襲った。
気を失っていたのは、ほんの少しの間であったらしい。
瓦礫の山の中で、俺は重い瞼をうっすらと開いた。
ヒビの入った天井から破片がぱらぱらと零れ、今にも崩れ落ちそうだ。
舞い上がる埃を吸い込んだためか、息が詰まって喉が痛い。
打ち込まれた“気”が、肉塊を内側から砕いた、その瞬間。
ゴーストは自身を爆弾と化し、エネルギーの全てを撒き散らして果てた。
それは、彼女の命を奪った時に比べれば、微々たる規模ではあったが。
至近距離から俺の全身を砕くには、それでも充分過ぎた。
狂気の熱が過ぎ去り、徐々に冷静さを取り戻し始めている。
ユエは無事でいるだろうか――。
咳き込んだ拍子に、ごぼりと血を吐き出す。
内臓がやられたなと、他人事のように思った。
もはや傷の具合を確かめる気も起きない。
どうせ致命傷には違いないのだから。
右腕は既に痛みすら感じず、痺れてまったく動かない。
辛うじて動く左腕で懐を探り、指輪の箱を取り出す。
それだけの動作で、気が遠くなるほどの激痛が走った。
呼吸を止め、歯を食いしばり、小さな箱を握り締めて。
崩れかけた天井の真下、今も増え続ける瓦礫の中に、指輪を箱ごと投じる。
あのまま埋もれて、永遠に見つかることがないように願った。
――これで良い。これで、全て終わった。
“この日”、彼女と約束した時間に、俺が現れることはない。
指輪を手渡してプロポーズすることもなく、二人の間に子供が授かることもない。
そして――彼女は理不尽な事故死から逃れて、別の未来を歩んでいくはずだ。
俺が死ねば、彼女は悲しむだろう。
でも、俺の死に彼女が縛られることだけは避けたかった。
彼女の死に縛られ続けた俺のように……。
だから、俺は何も遺さずに逝く。
結婚の誓いも、血を分けた子供も、何一つ遺さない。
彼女が悲しみを乗り越えた時、迷わず新しい道を選べるように。
俺のことは忘れて、もっと良い相手を見つけて欲しい。
今度こそ、どうか幸せになって欲しい。
俺は道を踏み外して、君と歩む資格を永遠に失ってしまったけれど。
それでも、君の幸せをずっと祈り続けるよ――。
ゆっくりと瞼を閉じ、小さく息を吐く。
あとは、瓦礫が俺の体を埋めるまで待つだけだ。
――いや。待つまでも、ない、か……。
俺の意識は、再び闇に沈んだ。
〔続く〕