じっくりと時間をかけて、蓬琳は出された食事を全て食べ終えた。
「たくさん……食べる、は……久しぶり……デス」
箸を置き、一息つくようにぽつりと呟く。
つまり、普段の食事は例の固形栄養食を、身体を最低限維持しうる分量だけ摂取しているということなのだろう。
味付けは濃すぎなかったか、と訊いてやると、蓬琳はまず顔を上げて俺をじっと眺め、次いで、何度も小さく頷いた。
「美味……デス、でした……デス」
仮に社交辞令であったとしても、その一言を聞けるのは嬉しい。
「寅靖……は、料理するも……巧い、デス。尊敬……デス」
「毎日やっていれば、誰でもこの程度は出来るようになるさ」
続いて、真っ直ぐに俺を見て発せられた言葉にそう答えたのは、多少の照れは含まれているにしても、偽らざる本心だった。
決して謙遜というわけではなく、俺の料理の腕は“無難”の域を出ない。
そこそこ舌に馴染んだ味にすることは出来ても、万人を唸らせるようなものは作れないのだ。
もともと、そこまで器用な方でもない。
俺より台所に立つ回数が少なくとも、俺より出来の良い料理を作ることが出来る者は山ほど居る。
蓬琳は俺の返答に首を傾げて考え込んでいたが、やがて、こちらに視線を戻すと、今度は大きく頷いた。
「凄い……思う、デス」
「……ありがとう」
見知らぬ万人の賛辞よりも、身近な一人の満足の方が、この際は重要と思える。
その一言を素直に噛みしめつつ、俺は茶の準備に席を立った。
食後に茶と菓子を出すのは普段からの習慣であって、殊更に来客を意識してのことではない。
だから、その日の茶請けに栗羊羹を選んだのは、単なる偶然の結果だった。
祖父が贔屓にしている和菓子屋があり、栗羊羹はこの季節の目玉商品というだけの話である。
しかし、この巡り合わせに、当の客は予想外の反応を示した。
「! ……栗羊羹……デス!」
目を真丸に見開き、皿の上の羊羹を凝視する蓬琳。
好物なのか、と問うと、やや興奮した様子で声を弾ませながら、たどたどしく肯定の意を示す。
乏しい語彙と、文法が支離滅裂になりつつある言葉からも、それは充分すぎるほど伝わってきた。
「……食べる……する、いいの、か?」
「菓子は食べるためにあるものだ」
恐る恐る発せられた問いに頷いた途端、蓬琳の表情がぱっと輝く。
「♪ ……いただくしますする……デス」
既にそこまで気を配る余裕もないのか、蓬琳の言葉は微妙に呂律が回っていない。
大事そうに皿を抱え、手にした楊枝で隅から羊羹を削っては口に運ぶ。
時折、甘さを噛み締めるように、ぼんやりと力の抜けた笑みを浮かべるのを眺めながら。
ようやく俺は、この娘の年相応な一面を見たように思った。
和やかな時間が過ぎ、そろそろ夜も更けつつある。
彩虹から帰宅したというメールを受け取った後、俺は蓬琳に、今夜は彼女の部屋に泊めてもらうように、もう段取りは整えてあるから、との旨を伝えた。
無論、蓬琳にとっては寝耳に水であっただろう。
案の定、この遠慮深い娘は、いたく慌てた様子で首を横に振った。
「大丈夫……もう、痛み、収まるする……デス。
迷惑多量、山積みする……します……デス」
こういった態度に出るだろうことは、今までのやり取りで大体見当はついている。
当然、対策は頭の中に出来上がっていた。
「お前が来ると言ったら、彩虹も喜んでいたぞ」
常に、自分と周囲との位置を測り、その中で己の存在が負担にならないよう、また、少しでも力になれるよう、そればかりを考えているような娘である。
要は、『自分がそうする事で、人のためになる』と信じさせてやればいいのだ。
「……喜ぶ、した……デス?」
「ああ、とても喜んでいた」
眉根を寄せ、不安げに問う姿に、「とても」の部分を強調しつつ答える。
蓬琳はしばらく、俺の真意を量るようにこちらの顔を眺めていたが、そのうち納得したのか、どこかきょとんとした様子で頷いた。
「……了解、デス」
再び蓬琳を背負って家を出た時、夜空には星が幾つか瞬いているのが見えた。
とうとう観念したのか、それとも状況に順応したのか。
蓬琳は、何も言わず俺の背中にしがみついている。
寒くないか、と問いかけると、返答の代わりに、首を横に振る様子が伝わってきた。
ひたすらに自らの価値を問い、ひたむきに戦う力を磨いて。
ただ、周囲に対して、己が其処に在り続けることの赦しを請う娘。
蓬琳を取り巻くこの世界が、せめて、もう少し優しいものであるようにと。
冷えた空の下、俺はただ、それだけを祈って歩いた。
【♪Psi-trailing /ZABADAK】