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	連作のSS(サイドストーリー)、全10話。
	時間軸としては3月初旬を想定。
	
	重めの内容で、若干のアンオフィ成分を含む可能性があるため
	ご覧になる際はその旨をご了承下さいませ。
	
	なお、作中にご登場頂いた他PL様のPC、NPCについては
	PL様ご本人より事前に許可を頂いております。
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	〔承前〕
	
	【Epilogue ―呪縛の終焉】
	
	ドアチャイムを押すと、扉越しの微かな足音に、鍵の開く音が続いた。
	
	「――どちらさま?」
	
	チェーンのかかった扉の隙間から、小柄な女性の姿が覗く。
	初対面の相手を警戒させぬよう、俺は丁寧に一礼して名乗った。
	
	「突然にお伺いして、申し訳ございません。渕埼寅靖と申します」
	
	この日に俺が訪ねたのは、渡瀬が最期に暮らしたアパートの一室。
	そして、眼前の女性こそ――渡瀬と生活をともにしていた、彼の内縁の妻だった。
	
	「渡瀬さんには、生前お世話になったもので……よろしければ、お参りをさせていただけませんか?」
	
	俺の言葉に、女性は扉の隙間からこちらを見上げ、まじまじと顔を眺めた。
	彼女は痩せてはいるが、今にも倒れそうなほど病的な様子ではない。
	渡瀬の仮初の命を繋ぐため、この女性が自らの血を提供していたことは間違いないだろうが、それよりは葬儀などの疲れが出ているように見える。
	
	しばしの沈黙の後、女性は表情を少しだけ和らげ、こう言った。
	
	「散らかっておりますけど、どうかお上がりください。渡瀬も、きっと喜ぶと思いますから」
	線香の煙が薄くたゆたう奥に、真新しい位牌と遺影、そして遺骨の置かれた白木の祭壇があった。
	その前に姿勢を正して座り、線香をあげて手を合わせる。
	
	渡瀬の二度目の死が、『世界結界』によってどのように説明づけられたのか、俺は知らない。
	遺体が無傷で済まなかった以上、何らかの事故や事件によるものと見なされたのだろうが、俺はそれを確かめようとはしなかった。
	俺にとっては、己の手で彼を送ったという事実が全てだ。
	
	御参りを済ませて立ち上がった俺に、女性は改めて座布団と茶を勧めてきた。
	話をすれば、思わぬところからボロが出る可能性がある。最初は固辞するつもりだったが、何かを話したそうな彼女の様子に、聞くだけならと思い直すことにした。
	俺が座布団に腰を下ろし、茶を一口すすった後、女性は呟くように話し始めた。
	
	「渡瀬を亡くしたばかりで、言うべきではないのでしょうけど――いつか、こんな日が来ると思っていました」
	
	湯呑みを持つ手が、思わず強張る。
	この女性は、彼の死について何か気付いているのだろうか。
	しかし、彼女は俺の内心の動揺を察した様子もなく、言葉を続けた。
	
	「あの人の目は、私よりもずっと……遠いところに向けられていましたから」
	
	何と言ったものか、返答に迷う俺を眺め、女性が思い出したように付け加える。
	「私、以前に主人を亡くしてから……ずっと、死人のように暮らしていたんです。そんな中、出会ったのが渡瀬でした」
	
	理由は違えど、連れ合いを失った者として通じ合うものがあったのだろうか。
	そういえば――かつて、渡瀬の妻だった人と、目の前の女性は、どこか面影が似ているようにも思える。
	
	「彼はずっと、私を励まし続けてくれました。でも、そのうち気付いたんです」
	「気付いた?」
	
	ええ、と頷いて、彼女は続ける。
	
	「渡瀬も、私と同じように――いえ、私よりもずっと、大切な人を亡くした悲しみに縛られていたんだって」
	
	この人は、渡瀬の過去についてどれだけのことを知っているのだろう。
	慎重に言葉を選びながら、俺は口を開く。
	
	「昔、ご家族を亡くされたと……」
	「ええ、存じております。でも、それだけではないようでした」
	
	口を噤み、じっと次の言葉を待つ。
	沈黙は、そう長く続かなかった。
	
	「――渡瀬は、いつも言っていました」
	「何と?」
	
	これまで伏せられがちだった女性の瞳が、真っ直ぐに俺を見た。
	
	「親友と交わしたまま、ずっと果たせないでいる約束がある。今でも、それを忘れた日はない――と」
	「……」
	
	そして、渡瀬はこうも言っていたそうだ。
	親しい友人や家族を亡くした時、人の心には大きな穴が開く。
	その穴を埋めるには長い時間をかけていくしかないが、自分にはその時間が無い。
	君は、決して自分のようにはならないで欲しい。
	いま悲しみと苦しみの中にいる人に、こういった言葉をかけるのは酷だと、わかってはいるけれど。
	いつか必ず、それが癒えることを信じて、明日へ続く今日を生き続けて欲しい。
	それまで、好きなだけ泣いても、叫んでも良いから――と。
	
	『時間が無い』という言葉の意味は、彼女にはわからなかった。
	しかし、その時から彼女は、渡瀬がいつか自分の元を去る日が来るという、確かな予感があったという。
	一般人である彼女が、渡瀬がリビングデッドである事実を知っていたはずはないが……。
	彼が、あまりに深すぎる悲しみにより『一線を越えてしまった』者であることは、同じ痛みを持つ者として、察することが出来たのかもしれない。
	
	そこまで話し終えて、彼女はもう一度、俺の顔を見た。
	
	「あなたがお見えになった時、渡瀬の言っていたお友達ではと――そう、思いました」
	「いえ、私は……」
	
	慌てて否定する俺に向け、彼女はそうでしょうね、と言った。
	彼女もまた、渡瀬の“親友”が既にこの世にいないことを知っているのだ。
	
	「あの人の古いお友達にしては、少しお若いようですし――どうか、お気を悪くされないでくださいね」
	
	渡瀬の外見年齢が30代半ばから後半ということを考えると、女性の目に俺は何歳ぐらいと映っているのだろうか。
	女性の言う『少し』の基準を計りかねて眉を寄せる俺に向けて、彼女は初めて笑みを浮かべた。
	
	「でも、あなたにお会いできて良かった……ありがとうございます」
	
	俺はただ話を聞いたに過ぎないし、まして渡瀬が『この世を去った』経緯を考えると、感謝を受け取れる身では到底ないのだが。
	それでも、この女性の心の中では何らかの区切りがついたのだろうか。
	
	――いつになるか、まだ分かりません。でも、彼の弔いが済んだら、きっと……。
	震える声で、彼女はそう言った。
	
	
	「あ、師匠。どうだった?」
	
	アパートを出ると、門を背に立っていた今日介が俺を振り返って言った。
	本当は今日介も一緒に女性を訪ねる予定だったのだが、直前になって当の本人がここで待っていると言い出したのだ。
	
	「少し、話をしてきた」
	
	女性との会話をかいつまんで伝えると、今日介もやや安堵した様子を見せた。
	リビングデッドが倒されるということは、残された者が愛する者の死に直面するということだ。
	今日介もまた、それを己の身をもって知っている一人だった。
	
	アパートを後にし、ゆっくりと並んで歩き出す。
	ふと、今日介が口を開いた。
	
	「――ねえ、師匠」
	「ん?」
	
	顔を向けた先で、今日介が笑う。
	「師匠はさ、長生きしてよね」
	
	一瞬、俺は目を丸くした後――殊更に、顔を顰めてみせた。
	
	「誰に言ってるんだ、お前の方がよほど心配だ」
	「えぇー」
	
	不満げな声を上げる今日介に、反論の隙を与えずに畳み掛ける。
	
	「えー、じゃない。大体、こないだの依頼だってお前は……」
	
	
	
	――人である限り、時間は永遠ではありえない。
	
	出会いがあれば別れがあり、生まれたものはいずれ死を迎える。
	戦いに身を投じる以上、常に死と隣り合わせであることも覚悟の上だ。
	
	でも、俺は二度と、それを言い訳に逃げたりはしない。
	
	死に場所を見つけるために、ゴーストと戦うのではなく。
	生きるために。幸せを掴むために。
	大切な人たちと、これからも笑って過ごすために。
	命尽きるその一瞬まで、決して諦めることなく生き抜こう。
	
	
	“出来るだけ、ゆっくり来いよ――”
	
	
	それは、永き呪縛の終わり。
	
	そして――新たなる誓い。
	
	〔了〕