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連作のSS(サイドストーリー)、全10話。
時間軸としては3月初旬を想定。
重めの内容で、若干のアンオフィ成分を含む可能性があるため
ご覧になる際はその旨をご了承下さいませ。
なお、作中にご登場頂いた他PL様のPC、NPCについては
PL様ご本人より事前に許可を頂いております。
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〔承前〕
【Home ―帰還】
「二人とも有難う。朝早くに時間を取らせてすまなかったな」
物陰に待機していた円やいちると合流し、偽装のため軽く現場を整えた後。
空き地を離れ、公衆電話から匿名の110番を終え、今日介に連絡を入れてから――俺は、二人に向けてようやく礼を言うことが出来た。
遺体が残っている以上、俺達がいつまでも現場近くをうろついているわけにはいかなかったし、あの閑散とした空き地で、渡瀬がいつまでも発見されずに放置されるのも忍びない。
よって、事が済んだ後はかなり慌しく動かねばならず、落ち着いて言葉を交わす暇もなかったのだ。
「その……心配も、かけてしまったと思う」
先の戦いを振り返り、ばつの悪さを抱えながら言葉を続ける。
あらゆる状況を考慮した上で、己に出来る最善を尽くしたことに偽りはないが……それでも、見守る側にとっては充分すぎるほど無茶な戦いぶりと映っただろうから。
沈黙を破ったのは、眉間に皺を寄せたいちるの溜め息だった。
「……先輩だけは、命の危険が絡んでも“俺と同じ事”には走らないと思ってましたけど」
意味深な言葉とともに、携帯電話でメールを打ち始めたいちるを眺めながら、それは、自分も同様の無茶をやりましたと宣言したも同然じゃなかろうか、と思うものの、この状況でそう反論できるはずもない。
その間に手早くメールを打ち終えると、いちるは「ま、いいか」と誰に言うでもなく呟いた。
この場に停めていた自転車を引っ張り出しながら、今度は俺と円の方を向いて言う。
「今日もバイトあるんで、俺そろそろ帰ります。典杏への報告は、すみませんがお二人で行ってください」
「……あ、ああ。忙しいところすまなかった」
了解の旨を告げると、いちるは自分のポケットから鍵を取り出し、それを俺に手渡した。
クラブ棟から学園近くの貸店舗へ移動してますけど、鍵のタグに番地書いてるから迷いはしないはずです、と言った後、念を押すように続ける。
「この時間じゃ、まだ店も開いてないでしょうから。報告で学園に行くわけですし、ついでに菓房で一休みでも」
「有難う。礼はまた、改めて」
「いえ、こないだの温泉宿手配のお返しもありますし。完全セルフになっちゃいますけど、紅茶や珈琲の類は飲み放題ってことで」
見てすぐ分かる所に物は置いてありますから、と言い残して自転車で走り去るいちるを見送った後、振り返って円に言う。
「――行こうか」
相変わらずばつの悪さを隠しきれない俺を見て、円は微かに笑った。
堤への報告は、実に呆気なく終った。
朝早くにも関わらず、いつもと同じように教室で俺達を待っていた堤は、俺の表情を見るなり、運命予報士としての顔で言った。
――成否だけ御伺い致しましょう。予報の禍津(ゴースト)、滅して戴けましたでしょうか。
他に何かあるのでしたら聞きますが、言わなきゃ良かったと後悔したって知りませんよと、態度ではっきり示している。
かえって言葉に詰まってしまった俺を眺めやり、堤はひとつ息を吐くと、表情を和らげて続けた。
――御無事で良かった、という事でこの件は終わりにしましょうか。おかえりなさい、学園へ。
堤が、あえて運命予報士としての立場を貫いたのは、俺に対する配慮ゆえだろう。
運命予報士と能力者という枠を越えて、知人として接してしまえば。
まだ14、5歳にしかならない少女からすれば、苦言を呈さずにはいられなかっただろうから。
そんなことを考えて歩くうち、いちるから預かった鍵のタグに書かれた住所に辿り着いた。
小さな店の窓越しに、小さな黒板と栗鼠のぬいぐるみを乗せた、飴色の揺り椅子が見える。
黒板に書かれた“-Vigilia di Natale-”の一文。それが、季節ごとに場所を移す菓房――いちる達の結社の名だった。
扉の鍵を開け、室内へ円を誘う。
いちるが言った通り、中はわかりやすく整頓されている。
初めての店内でも、物を探すのに苦労はしなさそうだった。
椅子を軽く引いて円に勧めた後、テーブルを挟んで向かいの席に自分の上着をかける。
湯を沸かそうと、電気ケトルに手を伸ばしかけて――その前に、円の方を向いた。
「今日は、本当に有難う。心配、かけたな」
ばつの悪さがどうしても消えないのは、やはり無茶をした自覚があるからだ。
戦いに生き残るため、どうしても必要なことであったとしても。
己の身が傷つけば、それは周囲にいる人々の心をも痛めることになるのだと、今の俺は知っている。
「止めないって言っただろ? ……教えてくれて、ありがとう」
そう言って微笑んだ円の表情が、直後、わずかに翳る。
続く言葉の前に、俺は彼女の心情を察した。
「――でも、心配はした。寅靖は、いつも無茶するからさ」
この戦いを決めた時。
俺は、円に黙って行くわけにいかないと思った。
必ず生きて戻ると、決して居なくなったりしないと、示したかった。
円も、そんな俺の思いを受け止めてくれたが――それでも。
己の身勝手で痛みを与えてしまったことに、違いはない。
「すまない……」
謝罪も、過ぎれば陳腐なものにしかならないのだが。
今の俺には、これ以外に言葉が見つからなかった。
「そう思うなら。今度、何か奢れよな?」
一転して明るい表情と口調で紡がれた円の言葉に、体と心の双方で頷いて。
俺は、今度こそ電気ケトルへと手を伸ばした。
「前払いに、茶でも淹れるよ。珈琲でいいか?」
湯は、すぐに沸いた。
二人分の珈琲をカップに淹れ、角砂糖の瓶やミルクピッチャーを添えてテーブルに置く。
椅子に腰を下ろし、向かい側に座る円の顔を見た時。
この数日ずっと張り詰めていた心が、少しずつほぐれていくのを感じた。
テーブルに流れる温かい空気が、珈琲の芳香が、今はとても心地良い。
カップに口をつけ、砂糖もミルクも入れない珈琲を一口すすった。
「……子供の頃は苦手だったんだよな、珈琲」
今でこそブラックで飲むことが多いものの、珈琲を飲むようになったのは割と近年のことだ。
俺が生まれて初めて珈琲を口にしたのは――そうだ。
幼い日、稽古を終えた時に渡瀬が飲んでいた珈琲に、俺が興味をおぼえたのが最初だった。
――え、飲むのか? 寅靖にはまだ早いと思うがなあ。
それまで祖父の淹れる日本茶しか口にしたことがなかった俺にとって、薫り高い珈琲はとても新鮮で。それは、大人の飲み物に見えた。
自分も飲むと言って聞かない俺に対し、渡瀬もとうとう根負けしてカップを差し出したのだったが……その時の俺には、ひたすら苦い液体としか思えなかった。
――ほら見ろ、子供が飲んで美味いものじゃないんだよ。
顔をしかめ、一口でギブアップした俺を見て、渡瀬は笑ったものだ。
カップを受け取り、まだ熱いそれを事もなげに飲み干してから、彼は不満顔の俺の頭に手を置き、髪をくしゃと撫でた。
――大人になるまで我慢するんだな、背が伸びなくなるぞ?
お前は今でもチビ助なんだから、とからかうように言われ、すっかり拗ねた俺はその場を足早に立ち去ったのだった。
『ガキの頃はチビ助だったからなあ、お前』
二日前に聞いた、渡瀬の言葉が不意に蘇る。
そうだ。あの当時、同年代の子供と比べても小柄だった俺を、何かにつけてからかっていたのは彼だった。
そして。周囲の大人たちが揃って『可愛げがない』と評していた俺に対して、厳しい祖父の代わりに明るく慈しんでくれていたのも、彼だった。
渡瀬忠義はもう、この世にいない。
俺が――この手で、彼を送ったのだから。
「寅靖……?」
ふと、カップを持つ円の手が止まる。
それで初めて、俺は自分が泣いているのだと気付いた。
「あ……」
自分のカップを置いて、片手で顔を覆う。
テーブルの上に残ったもう片方の手に、そっと、円の手が重ねられた。
円の熱が、重ねられた手から心へと染み渡る。
その優しさに甘えてばかりはいられないと――そう思いながらも。
堰を切って溢れ出した想いを、止めることは出来なかった。
――少しだけ。少し、だけだから……。
震える唇から漏れた呟きは、はたして円に届いたのかどうか。
目元を覆う指の隙間から、雫が一つ、また一つと零れ落ちていった。
〔続く〕