【※背後より】
『寅靖の祖先が土蜘蛛である』という仮想設定のもとで
忘却期以前の渕埼家の始祖を書いた連作SSです。
(事実とは限りませんし、表でこの設定を用いる事もありません)
これでもかという程に自己満足全開です、予めご了承下さい。
〔承前〕
隠青が姿を見せぬようになり、早くもふた月が過ぎた。
自分に興味が失せたなどという言葉は、桜子は頭から信じていなかった。
深く想われていると、信じていたわけではない。
ただ、桜子は知っていた。
嘘をつくとき、あの男は決して目を合わせようとしないのだ。
わかっていて、桜子は隠青を追わなかった。
いや、追えなかった。
あの時、桜子は既に身篭っていたから。
下手に告げたところで癇癪を起こすだけだから、折りを見て、と伏せていたのだったが。
無理にでも告げていれば、隠青は今も傍に居ただろうか。
否、と思う。
あの男が一度そうと決めたら、誰にも止められる筈はなかった。
――そう、誰にも。
やがて、桜子は男児を産み落とす。
蜘蛛の子が生まれたら如何様に育てようか、などと思案していたのだが。
生まれた赤子は、見たところ人と何ら変わるところがなく。
安堵すると同時に、少しばかり残念に思った。
生まれた子に、桜子は『青嵐(せいらん)』と名付けた。
隠青から、青の一文字を貰ったのだ。
あの男が聞いたら、勝手に人の名を使うなと怒るだろうが――。
――あとは、全て後日談ということになる。
数年の後、桜子はあれほど固執した淵を離れた。
成長するごとに隠青の面影を強める青嵐を連れて、人里に下りたのだ。
理由は二つある。
一つは、己と隠青の血を継ぐ息子を人の中で育てたかったこと。
もう一つは、かつて、父が身を投げて果てたあの淵に取り巻いていた怨念が晴れたことだ。
それが、隠青が姿を消した時期とぴたり重なることに、桜子が気付いていたかはわからぬ。
ただ、これだけは確かのようだ。
息子が自分の手を離れた後、桜子は一人、あの淵へと戻っている。
その後は二度と離れることなく、そして死を迎えた。
遺骸は、淵へ沈められたそうである。生前、桜子が願った通りに。
後の世に至るまで、血は絶えることなく受け継がれ。
そして、誰もが名字を名乗ることが許される時代が訪れる。
彼らの末裔が姓として選んだのは、遠い祖先が失った名ではなく。
祖となった女が住んだとされる『淵の崎』――転じて『渕埼』の名であった。
一族に生まれた男児に『青』の字を含む名をつける慣習とともに、それは現代まで伝えられていくこととなる――。
〔了〕
【♪愛を超えて/姫神】 [YouTube]
〔こっそりと打ち明け話〕