【※背後より】
『寅靖の祖先が土蜘蛛である』という仮想設定のもとで
忘却期以前の渕埼家の始祖を書いた連作SSです。
(事実とは限りませんし、表でこの設定を用いる事もありません)
これでもかという程に自己満足全開です、予めご了承下さい。
〔承前〕
声にならぬ呻きに代わり、口から漏れたのは夥しい鮮血だった。
遠ざかる意識の中で、己の傷の具合を確かめようとする。
内、外を問わず全身のあちこちが砕けている。
特に左腕は骨ごと節をやられたようだ。おそらく使い物にならぬ。
流れる血が片目を塞ぎ、視界の半分を奪っていく。
――否、そのような事はどうでも良い。
あの死霊は、今、何と言ったのだ……?
気力のみで辛うじて意識を繋ぎ、砕ける膝に喝を入れて支える。
血に塞がれなかった片目で、眼前の地縛霊を見据えた。
――さくらこ。
怨念でくぐもった声は、二度、そう聞こえた。
やはり、桜子を呼んでいるのか。何故。
隠青が桜子について知ることは僅かだ。
曰く、家名を失った一族の最後の生き残りであると。
仮に桜子と地縛霊に因縁があるとしても、全ては推測するより他にない。
だが、隠青は気付いた。
桜子が、あれ程までにこの地へと拘った理由。
それがもし、淵に身を投げた血族の弔いのためだとしたら――。
「貴、様……ッ!」
父か母か、兄か。いずれかは知らぬ。
しかし、自ら果てた者が今更、生者に哀れを乞うのか。
斯様な姿になってまで、桜子を奪おうというのか。
許さぬ。決して、許しはせぬ。
残る右腕一本で短刀を構え直し、再び炎を纏う。
呪詛の声が再び隠青の全身を蝕んだが、炎は些かの衰いもみせぬ。
貴様などに、桜子を渡すものか。
「桜子は、俺の――……」
咆哮は、自ら放つ紅蓮の炎に呑まれ。
長き戦いは、遂に決着した。
雨足が強まり、傷ついた隠青をしとどに濡らす。
地縛霊は滅ぼし、この世ならざる戦場から舞い戻りはしたものの、既に命の火は尽きかけていた。
この傷では助からぬ。血を流しすぎた。
女のため命すら懸けた己が、ひどく滑稽に思える。
腹を立てる気力すら使い果たしたのか、不思議と気分は穏やかだった。
これから為すべきことは、ひとつ。
自らの手で、自らを葬り去るのだ。
桜子に屍を晒し、弔われるなど真っ平御免だった。
己のために死んだなどと思われては、迷惑だ。
断じて身投げなどではない。
間もなく屍と化すこの身を、一足早く淵の底に沈めるだけだ。
自害を潔しとせぬ矜持は、この瞬間まで、隠青に要らぬ理屈を求めた。
薄れゆく意識が、まだ己の脚を操れるうちに。
隠青は足元の岩を蹴り、淵へと身を躍らせる。
残された血の痕は、雨がきっと洗い流してくれるだろう。
風の向くまま何処かへと去ったのだと、桜子には思っていて欲しかった。
願いが聞き届けられたのかどうか。
隠青の体は深く淵へと沈み、そして再び上がることはなかった。
〔続く〕
【♪千年の祈り/姫神】 [YouTube]