しん、と響くような雨音が、座敷の中に居てもはっきりと聴こえてくる。
ここ数日降り続いている雨は、まだ止む兆しを見せてはいない。
「やんなっちゃうなあ、雨ばっかしで」
いつもの如く、宣昭と家に転がり込んでいた紅乃が、畳の上で手足をばたつかせる。
この天気では出かけるにも億劫だが、それでも部屋に閉じ込められるのは我慢がならないようだ。
「だからといって、人の家で暴れるなよ」
「流石にやんないけどさ。でも、身体なまるー」
苦笑しつつ声をかけると、紅乃は寝転がった姿勢のまま、傍らの桜に視線を向けた。
「桜もそう思うよねー?」
紅乃と正面から顔を見合わせる形で、桜が小さく鳴いて答える。
尻尾が所在なさげに揺れているところを見ると、どうやら同じ気持ちであるらしい。
……そういえば。桜と出会ったのも、こんな雨の日だった。
その日は、午後から強い雨が降り出していた。
天気予報に裏切られ、傘を忘れた俺は、少しでも近道をしようと、体育館の裏手を抜けて帰ることを思い立ち。
そこで、雨音に紛れて響く、か細い猫の鳴き声を聞いた。
目を向けると、そこにはとうに花の散ってしまった桜の木。
太い幹の根元で埋もれるように、オレンジと白の縞の仔猫が、雨に身を震わせていた。
捨てられたのか、はたまた親とはぐれたのか。
仔猫がここにいる理由はわからないが、長く雨に打たれていたことは間違いない。
濡れそぼった体はどこまでも小さく、見上げる青い瞳はどこか弱々しい。
掌で掬い上げると、ほとんど重さを感じないほどに軽かった。
ともかく、見つけた以上は放っておくわけにいかない。
このまま雨の中に置いておけば、確実にこの猫は死んでしまうだろう。
弱った仔猫を掌に抱えて、俺は真っ直ぐ近所の獣医へと駆け込んだ。
「この子は、君の猫かい?」
ずぶ濡れの俺と仔猫を見て、眼鏡をかけた獣医師が首を傾げて問う。
この非常時に何を悠長な、とも思ったが、どうやら事はそんな単純ではないらしい。
今後もこの仔猫を飼う意思がないのであれば、診察はできない。獣医師は、そう俺に告げる。
「――飼います。そのつもりで、ここに来ました」
ここで見捨てるつもりなら、最初から連れて来たりはしない。
ようやく診察を受けることができた仔猫を眺めながら、俺はふと、こいつの名前を考えてやらなきゃな、と思った。
それから、俺は仔猫を連れて雨の中を急いで帰り、自宅では祖父に頭を下げて猫を飼う許可を取り付け。
柔らかい毛布の上に仔猫を寝かし付けた後、必要な物を買い揃えに再び雨の中を走った。
全てが終わって一息ついた頃には、辺りはすっかり暗くなっており。
まる半日、傘というものの存在を忘れていた俺の制服は、雨が染み込んで芯まで冷えていた。
俺の自室で、毛布の上に丸くなる仔猫。
そっと撫でる指先からは、小さな鼓動が脈を打っている。
決して、死なせたくはない。
名前をどうしよう、と再び思う。
オレンジと白の虎縞、青い瞳、長靴を履いたように白い足の先。そして雌。
身体的特徴や性別をかわるがわる思い浮かべてみるが、どうにも良い連想が出てこない。
頭を捻っているうち、この猫を見つけた時の光景を思い出した。
花の散った桜の木の下、根元に埋もれるように鳴いていた、小さな姿。
来年、桜の花が咲く頃には、どうか元気にその下を駆けてほしい。
そんな願いを込めて、俺はこの猫の名を“桜”に決めた。
「――桜」
小さく呼びかけた先、白く細い髭が微かに揺れた。