【※七瀬・残菊氏のSSとリンクしたエピソードです】
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久々に、ゆっくりと本を読んでいる。
ここ最近は何かと慌しくて、こういう機会は持てずじまいだった。
だから、だろうか。
暇潰しのつもりが、今はすっかり活字を追うことに夢中だ。
部屋の静けさが、過ぎる時間を忘れさせる。
ふと視線を落とすと、左腕の腕時計は11時50分を指していた。
そろそろ、帰ってくる頃合だろうか。
そう思い浮かべた矢先、気配と足音。
一昔前の黒電話に似たドアチャイムは、少し遠い音として耳に届いた。
読んでいた短編集を、そっと本棚へ戻す。
五感の殆どを閉ざされた男の物語。
目に見えぬ住人とその飼い猫と、2人と1匹の奇妙な同居生活を送る学生の物語。
それらの余韻が、この作家特有の後味を伴って心に残る。
玄関に向かうため、室内の三方を埋め尽くす本棚の前を通り過ぎる。
日迎の専門であろう『水』に関する蔵書のコーナーの中、ひときわ蒼い背表紙が、一瞬目を引いた。
今は、友人を出迎えるのが先だ。
ドアを開いて、久々に会う友人の顔を眺める。
一瞬のうちに色々な想いがよぎったが、しかしそれは言葉にならなかった。
代わりに出てきたのは、至っていつも通りの声。いつも通りの笑顔。
「――おかえり。特に変わった事はなかったよ」
右目を眼帯とガーゼで覆い、至る所に傷を負った友人――七瀬・残菊は。
俺を見て、ただいま、と笑った。
そもそも、残菊が俺に留守番を頼んだのは、帰郷中のアクシデントで自宅の合鍵を失った事が切欠だった。
色々と、曰くのある実家だと聞いている。
一ヶ月近くにも及ぶ長い帰郷の中で、何事があったのか。
俺はそれを、無理には問うまいと決めていた。
聞かせられる類の話であれば自分から話してくれるだろうし、そうでなければ友人に負担を強いてまで聞き出す必要はない。
何か大事に見舞われたのだとしても、残菊はここに帰って来たのだから。
今は、それで充分だった。
心身が辛いようなら、すぐにでも辞去するつもりでいたが、残菊は土産があるから選んで欲しいと言う。
帰宅してより、俺の視線を憚るような態度が気になったものの、少なくとも拒まれてはいないらしい。
それなら、話を聞くくらいは許されるだろうか。
手作りの品々が並べられるのを眺めつつ、様子を伺う。
俺の意図は、すぐさま友人に伝わったらしい。
「……ああ。えぇと、話せる程度の体力はある……というより寝台列車に揺られて随分寝たから、結構元気だぞ俺は」
「そうか。それなら、大人しく聞かせてもらうとしよう」
それから、残菊は傷を負った顛末を語り始めた。
相手は彼の一族に連なる者、能力者の双子だと言う。
背景となる家の事情は、以前に少し聞いた事がある。
残菊の実家は華道の大家であり、彼はその次期当主だ。
何かと複雑な事情が付きまとうのだろうと、詳しく聞かずとも予想はついていた。
だから、多少のことでは驚かないつもりだったのだが。
淡々と一言で語られた惨劇と、その決着とも言うべき出来事については、一瞬息を呑んだ。
結果的に9名を殺害せしめた動機が、一族を統べる者たちへの憎悪なら。
残菊の負傷は、その延長線にあるということか。
――だが、それでも腑に落ちない点は残る。
俺が見た限り、残菊の傷は一方的に負わされたものだ。
およそ、無抵抗に攻撃を受けたとしか思えなかった。
自分の命を狙う者が居て、反射的に身を守らない者があるだろうか。
ましてや、お互いに能力者だ。
よほどの力の差でもなければ、防御すら試みられないという事態はありえない。
あるいは、防御の一切をかなぐり捨てて攻撃のみに徹した可能性もなくはない、が。
残菊の性格上、相手がどんなに憎い仇であったとしても、それは考えにくかった。
その疑問を口にすると、残菊は言葉を詰まらせた。
「……寅靖、最初に追求しなかっただろう、そのまま放って置いてくれて良いんだぞ」
「そうだな、無理に話す必要は無いが」
間に、しばらく沈黙が落ちる。
やがて言葉を見つけたのか、残菊が口を開いた。
「……攻撃を抵抗なし反撃なし防御なしの状態で受けたんだ」
つまり、残菊は自分の身を守ろうとする動きの一切を、自らの意志で殺したことになる。
抵抗した跡が見当たらないのは、そのためか。
聞けば、取引をしたらしい。
死してなお使役ゴーストとして残菊を慕う、彼の最愛の妹・楓。
彼女の死について、その状況を聞き出す条件として、相手の“八つ当たり”に付き合ったのだ、と。
その時は間違えて死んだって構わないと思った、とも言った。
怒られるとでも考えたのか、残菊はいつからか俺の視線を避けるように顔を伏せていた。
その頭が、ゆっくりと上がる。
向けられた顔は、何より友の心情を雄弁に語っていた。
良いやり方とは、言えなかったかもしれない。
けれど。
自分は、間違った事はしていない。
そんな表情の奥を覗いて、俺は小さく息を吐いた。
俺の知る七瀬残菊という男は、やはり、こういう男だ。
確かめられたのなら、それでいい。
「――これと、これを貰うよ」
「!」
何事も無かったかのように、唐突に土産の品を選んだ俺に対し、残菊が目を瞬かせる。
小分けしてくれるんだろう? と問う声に、慌てたような友の声が返す。
「……あ、うん。……あの、なんか……ないのか、何か」
「あるさ」
即答。
残菊が言葉を挟む隙を与えず、後を続けた。
勿論、俺は何もかもを容認したわけじゃない。
もっと違う方法があったのではないかと思う。
死んだって構わないなんて言葉には、多いに憤りを感じる。
でも“その時は”と残菊は言った。
つまり、今は違うと、自ら示したことになる。
反省しているなら、俺から改めて言うことなど無い。
そんな内容を、一息に言った。
一気に喋りすぎたか、眼前には理解が追いつかぬといった様子で眉根を寄せる残菊の顔がある。
きっと、反論がないわけではないだろう。
今までに聞いた話が、残菊が抱える全てとは考えにくい。
これ以上は、彼にとって本当に話せない内容なのだろうと察した。
傷を負うのは痛い。
そして、傷を負った者を目の当たりにすることも、別の意味で痛い。
残菊はそれをよく知っていて、だからこそ、影響が俺に及ぶことを恐れている。
そのことを思い、俺の古傷に僅かな痛みが走る。
幼少の頃に負った左頬の傷ではない。
今までの戦いで刻んだ、全身に残る無数の傷だ。
能力者である以上、傷痕が残るのは稀な筈である。
ならば何故、完治した後もなお、この身体はそれを残そうとするのか。
おそらくは忘れずにいたいのだろうと、俺は考える。
戦いで絶った命、繋いだ命、取り零した命。
それら一つ一つの重さを、少しでも長く刻んでおきたいのだと伝えたら、目の前の友人は何と言うのだろう。
最近は命だけは惜しむようになったものの、元より無茶を繰り返す悪癖のある俺には、残菊を怒る資格など無い。
「妹は元気か」
そんな自らの思考を断ち切るように、残菊に問う。
元気だよ、と彼は答えた。
「使役の代わりに攻撃を全部受け止めようとする能力者が、どれだけいるんだか知らないけど」
――ああ、と思った。
「なるほど。なんとなくわかったよ」
「……何が」
「何かが」
俺が選んだ小物を包み、残菊がおもむろに立ち上がる。
だから、続く言葉は上手い具合に聞き流された。
「厄介ながらトモダチ甲斐のある奴ばかりだな、まったく――」
振り返る姿に、何でもないよ、と返す。
この心優しい友人の傷が、少しでも早く癒えるようにと祈った。
※SS公開にあたり、残菊くんのプレイヤー・Xe.R(キセル)様に許可を頂いております。
心より感謝申し上げます、ありがとうございました。