その日は、暖かな日差しの晴天だった。
強い風もなく、大樹の幹に背を預けていると、木漏れ日が程よい眩しさで降り注いでくる。
ここのところ、俺はこの光溢れる庭で、桜を伴って昼寝をすることが増えた。
いつもは結社メンバーの姿が一人か二人は見受けられるのだが、今日に限っては誰もいない。
制服の懐に収まって丸くなる桜を軽く撫で、瞼を閉じる。
穏やかな静寂の中、波のように押し寄せる眠気に身を委ねようとした、その時。
草を踏みしめる小さな足音が、俺の耳に届いた。
構わず眠りに入ろうとした俺をよそに、桜が胸の上で大きく身じろぎする。
来訪者が気になったのか、制服の襟元から顔を出したらしい。
ややあって、頭上から控えめな声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「……食べる物……無い……デス」
独特の抑揚で発せられた台詞は、どうやら桜に向けられたものであるらしい。
うっすら瞼を開くと、長い黒髪を頭の横で二つに括った娘が、小柄な身体をさらに縮めるようにしてこちらを窺っていた。
ホウリン・ギョク――正しくは“玉蓬琳”。中学二年、中国籍の留学生。
最近になって、この『大樹のある光庭』の結社メンバーに加わったうちの一人だ。
「……餌は要らんぞ」
桜の代わりに言葉を返した俺に、ギョクがこの猫は食事を摂らないのか、と訊いてくる。
餌は家で与えているからここでは必要ない、と答える間、ギョクと桜の視線はぴったりと合ったまま動かない。
そういえば、ギョクはまだ桜と顔を合わせたことはなかったはずだった。
お互い、見慣れぬ存在に興味を抱いたのかもしれない。
桜の名を教えてやると、ギョクは日本の国花だ、と呟くように言った。
留学の際、この国の勉強をしてきた――と、たどたどしく語る様子に、どことなく好感を覚える。
「……桜……触る……噛む……か?」
自分が噛まれることより、桜の機嫌を損ねることを恐れるような口調。
心配は要らないと俺が伝えた後、ギョクは桜の顔をじっと見つめ、そろりと手を伸ばした。
「……嫌……だったら、噛む……する……良い」
律儀に断る様子を眺め、思わず笑みがこぼれる。
この娘は、生真面目なのだ――どこまでも、ひたむきに。
ギョクに撫でられ、桜がゴロゴロと喉を鳴らしながら目を細める。
もともと人懐こい方ではあるが、今は警戒心の欠片も感じられない。
「……柔らかい……」
いつもは変化に乏しいギョクの表情が、ほんの少しだけ、どこか嬉しげに緩む。
「そうだ……寅靖……闘技大会……お疲れ、様」
「ああ――ギョクもお疲れ様だ。よく頑張ったな」
この週、俺とギョクは『大樹のある光庭』で結成されたチームの一員として、学園黙示録に出場していた。
俺を含め、学園の中では比較的経験の浅いメンバーで構成されたチームにも関わらず、強豪を破って3回戦まで進出を果たせたのは、ギョクを始め、皆の頑張りによるところが大きい。
少しは役に立てただろうかと、健気に問うギョクを眺め、つい頭でも撫でてやりたい気分になる。
この娘には、胸を張り、自信を持って陽の下を歩いて欲しい。
何故か、そんな考えが脳裏をよぎった。
「折角だから茶でも淹れるか? 翳のようにはいかないが」
桜を両手で抱え、半ば押し付けるようにギョクに預けてから、軽く伸びをして立ち上がる。
翳には及ばないが、たまには自分で紅茶を淹れるのも悪くはないだろう。
――こんなことになるなら、茶菓子でも買っておくんだったな。
年齢を差し引いても、小柄で華奢な部類に属するであろうギョクの体格を横目で見て、ふとそんなことを思う。
先程までの眠気は、いつしか姿を消していた。
【♪遠い音楽/ZABADAK】
【戦績】『百花斉放』予選3回戦目で敗退/バトルカーニバル:1勝