※エイプリルフールの仮想設定における連作SSです。
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〔承前〕
【Twinkle Twinkle Starry River ―星海の畔】
最後の仕事は、一向にはかどらなかった。
ターゲットのガードが固すぎて、必要な情報が揃わないのだ。
特に、俺の能力を生かすには自らがターゲットに接近する必要がある。
行動範囲が掴めない事には、文字通り手も足も出ない。
さらに悪い事に、ターゲットも自らの危険を感じていたようで、腕利きのボディーガードを雇ったらしいという情報まである。
ボディーガードが能力者である可能性も充分に考えられ、そうなると仕事はますます簡単にはいかなくなるだろう。
幸い、依頼人も容易い仕事とは考えていないらしく、ある程度の時間のロスは考慮に入れてあるはずではあったが……。
どうしたものか、と書斎の椅子に背を預けて考え込む。
傍らで絨毯の上に座っていたユエが、俺を気遣わしげに眺めていた。
「こういう時は、気分転換をするに限るな」
軽い口調で声をかけると、ユエは一つ頷いてにこりと笑った。
自分のブラックコーヒーと、ユエ用に甘いカフェオレを淹れた後、書斎に戻ってネットを眺める。
ユエも一緒に見たがったので、椅子をもう一つ出して隣に座らせた。
折角だからユエが喜びそうなサイトでも探そうか、と思い、適当な単語を検索にかけてページを開いていく。
ユエは好奇心をすっかり刺激されたようで、目を輝かせてディスプレイに見入る姿に、張り詰めていた俺の心も和んだ。
仕事の合間に、こういった時間があってもいいだろう――そんな事を思う。
そして、人は無心である時ほど、思わぬ幸運に巡り合えるものらしい。
ユエと一緒に少女向けのサイトをあちこち眺めているうちに、俺はそれを見つけた。
一人の少女が、夢で見た風景を綴ったという散文詩を。
特定の場所、特定の時間にだけ開かれる道。
そこから、少女は幻想的な世界へと迷い込んだという。
よくある少女趣味の空想として片付けられそうな内容だが、それにしては場所と時間が詳しく書かれているのが気にかかった。
夢であるなら、もう少し具体性を欠く記述になるのではなかろうか。
「すまない、ちょっと調べ物をしていいか?」
遊びの中断を詫びると、ユエはこくりと頷いた。
ありがとうな、と頭を撫でてやり、別のウィンドウに地図を表示させる。
詳しく照らし合わせるまでもなかった。
詩に書かれた場所は、確かに実在しているのだ。
今から車を出せば、指定された時間までに充分着く。
駄目で元々なのだから、無駄足でも腹は立たないだろう。
そう思いつつも、胸の鼓動は高鳴った。
「ユエ、少し外に出よう」
車のキーを手にして立ち上がった俺を、ユエが怪訝そうに見上げる。
今からドライブは嫌か? と笑いかけると、相棒は勢いよく首を横に振った。
少し車を走らせた後、その場所には簡単に辿り着く事が出来た。
ポイントが特定できている以上、後はカーナビに従えば充分だった。
問題は、この後だ。
指定された時間に、そのような道が本当に開かれるのか。
仮に開かれたとしても、道の先にあるのは真に俺の望むものなのか。
そうそう、都合の良い話があるものだろうか?
しかし、疑念はいともあっさり打ち砕かれた。
そろそろ時間だろうかと、腕時計を確認しようとした、その時。
柔らかい光が、俺の横顔を淡く照らした。
向き直ると、先程まで行き止まりであったそこに、確かに道が続いている。
――願うあまり、夢を見ているのではあるまいな。
長年求めて得られなかったというのに、あまりにも出来すぎている。
半信半疑で、一歩、仄かに輝く道へと踏み込んだ。
道は真っ直ぐ続いているが、先に何があるかは見通せない。
進むしかないだろう。腹を決めて、ユエと一緒に歩き出した。
ひたすら長く見えた道は、実際に歩いてみるとそれ程でもなかった。
視界が急激に開けて明るさを増し、その直後に無数の星の輝きを認める。
眼前に広がっていたのは、数多の星を水面に散りばめた海、だった。
「とうとう、辿り着いたのか――」
数々の伝説で語られた星海の畔。
俺達が今立っている場所こそが、まさにそれに違いない。
驚きは次第に確信へと変わり、頭は冷静さを取り戻す。
俺は、ようやくスタート地点に立ったに過ぎない。
肝心なのは、むしろここからなのだ。
思わず、拳を握り締めた時。
星海に浮かぶ銀の船が、ゆっくりとこちらに近付いて来るのが見えた。
“星海の畔”の伝説で、人は舟に乗って過去へ赴くと伝えられている。
あれが、おそらくその舟なのだろう。
――もうすぐだ。もうすぐ、全ての決着がつく。
静かな決意を秘め、無言のまま舟を待つ。
やがて、銀の舟は俺達の立つ畔へと辿り着いた。
舟の上には、銀の櫂を手にした渡し守の姿。
顔は、すっぽりと仮面に覆われていてわからない。
その仮面の内側から、無機質な声が響く。
「――先に聞く。俺を呼ぶ事が何を意味しているのか全て分かった上で、此処へ?」
“覚悟”を問われているのだと、俺は解釈した。
「――無論だ。その為にありとあらゆる文献を浚い、漸く此処まで辿り着いたのだからな」
舟に乗るには、文字通り“命を懸ける”必要がある。
すなわち、船賃は“人間の寿命”――その、一年分だ。
既に死期が一年以内に迫っていれば、当然ながら命を失う。
そうでなくても、過去を変えるという行為が及ぼす影響は計り知れない。
ただ一点の改変だけでも、時間が進むにつれズレは大きくなっていく。
それが人の生き死にに関わるならば、尚のこと。
死ぬはずだった人間を生かす、あるいはその逆の形に改変を加える事で、直接関係のない、別の人間の生死にまで影響を及ぼす可能性がある。
最悪の場合、自分自身が“既に死んでいた”という事も考えられるのだ。
渡し守としては、そういった覚悟を問う必要があろう。
それほどの代償とリスクを負ってまで、本当に過去を変えたいか――と。
俺にとっては、今更の問いではあったが。
「……幸せなのか、不幸なのか。其の願い故に俺を探し、そして此処へ来た事は」
決意が揺らがぬものと認めたか、渡し守は一つ、小さく息を吐く。
次いで彼は、俺の傍らに立つユエを見遣った。
「……彼女はどうする。万が一“戻って来られねば”置いてけぼりとは感心しないな」
過去改変の後、俺が“既に死んでいた”場合は、当然ながら舟に戻ることは出来ない。
ユエが人であり、舟に乗らずに待つ身ならば、その問いは至極真っ当ではあるが……渡し守はユエを人として見ているのだろうか。
あるいは、使役ゴーストの存在を知らないのかもしれない。絆ある限り、主と常に共に在るということを。
現実と異なる法則で動くこの場所では、充分に考えられることだった。
ユエが、そっと俺のスーツの袖を掴む。
いずれにしても、俺の答えは決まっていた。
「誰が此処に置いて往くと言った。――ユエは俺の大事な相棒だ」
「……そう。其れなら別に構わない。俺は誘い導くだけの存在、その先は関われない」
スーツの袖を掴んだまま、ユエは複雑な表情を浮かべていた。
俺達が初めて出会った時と同じように。
自分は一緒に居てもいいのかと、全身で問うている。
「また、そんな顔して……大丈夫、心配要らないよ」
視線を合わせ、微笑って頷く。
ユエが金色の瞳を丸くしたところに、俺は言葉を重ねた。
「来てくれるか? 俺と一緒に」
表情を輝かせ、小さく頷いたユエの頭を撫でてやった後、渡し守へと向き直る。
「……まさか乗船拒否はしないだろうな」
ユエは使役ゴーストであり、人ではない。
この舟に乗るために対価を支払う必要もない筈だ。
しかし、ここではイレギュラーな乗客であるに違いない。
俺一人の寿命で足りぬ、などと言われては些か困る。
だが、渡し守は俺の危惧をあっさりと否定した。
「呼ばれた側にそんな権利が在るとは初耳だ。――決めるのは、貴方だから」
声とともに、手が差し伸べられる。
「望みには手段を。――変えたい過去まで、連れてってあげる」
俺は頷き、差し伸べられた手を取って銀の舟へと乗り込んだ。ユエも後に続く。
渡し守が銀の櫂を漕ぐと、舟は星の海をゆっくりと動き出した。
〔続く〕