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連作のSS(サイドストーリー)、全10話。
時間軸としては3月初旬を想定。
重めの内容で、若干のアンオフィ成分を含む可能性があるため
ご覧になる際はその旨をご了承下さいませ。
なお、作中にご登場頂いた他PL様のPC、NPCについては
PL様ご本人より事前に許可を頂いております。
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〔承前〕
【Fighters High ―武に生きる者】
約束の朝。
日の出を迎える前に、俺は家を出た。
玄関で俺を見送ったのは、飼い猫の桜と傘太(さんた)だ。
朝晩はまだ冷えるこの時期、普段は外に出たがらない猫達だが――人より優れた感覚で、並みならぬ気配を察したのだろうか。
丸い瞳で、じっと俺を見上げる2匹を撫でた後、俺は門を潜って薄暗い空の下を歩き始めた。
諸々の打ち合わせは、昨夜のうちに済ませてある。
円といちるの2人は俺とは別に空き地へ向かい、渡瀬の目につかぬよう、近くで身を潜めてもらう手筈になっていた。
懐に忍ばせた携帯電話が、マナーモードの着信で2人の配置が完了したという合図を告げる。
ゴーストの電波妨害を警戒し、かなり早めに行動を開始したのだが――渡瀬はまだ、空き地の近くには来ていないようだ。
ちなみに、今日介はこの戦いに同行していない。
当然の如く、自分も行くとゴネたのだが……待機組にはアビリティの射程である20メートル圏内で隠れてもらうことになるため、頭数が増えれば気付かれる可能性は大きくなる。
そうなれば、なし崩し的に多対一の戦いとなり、半端な人数ではかえって不利な状況を招くことになりかねない。
それでも今日介は納得しなかったが、渡瀬と暮らしている女性の存在を伝え、万一に備えて彼女を守って欲しいと伝えたところ、ようやく了承した。
数日中に女性が害される心配は少ないと聞いてはいたが、この戦いの結果で、それがどう転ぶかわからない。
最悪の場合――ここで、渡瀬に残された理性を完全に砕いてしまうかもしれないのだから。
早朝の空き地は、当然ながら静まりかえっていた。
近くに待機しているはずの円やいちるの姿も見えなかったが、どこかに身を隠して様子を窺っているだろう事は間違いない。
地面を踏みしめ、深く息を吸い込む。
道場での朝稽古を思わせる冷えた空気が、俺を落ち着かせた。
「――“起動”」
イグニッションカードを取り出し、そこに封じた力と装備を解放する。
両の腕に、隕石の名を冠した武骨な黒の短刀。
身に纏うのは、白の拳法着と紺袴――渕埼流古武術の道着。
これを着た以上、この戦いに負けは許されない。
心を鎮め、戦いの時を待つ。
程なくして、待ち人は現れた。
「――来てくれたんだな、“情智”」
俺の姿を認めて、渡瀬の瞳に狂気の光が宿る。
「長かった……本当に長かった……!」
口の端をつり上げ、歓喜に歪んだ笑みを浮かべる渡瀬。
その肉体が内側から盛り上がり、見る間に変容を遂げていく。
「決着をつけようじゃないか――俺と、お前のッ!」
俺が体内の『気』を呼び起こし、紅の虎紋を纏うのとほぼ同時。
爪を鋭く伸ばし、全身の筋肉を肥大させた渡瀬の肌に、漆黒の虎紋が浮かんだ。
踏み込みは、渡瀬が数段速い。
反射的に重心を落とし、両腕でガードを固める。
渡瀬は躊躇いもせず、そのままの勢いで俺に体当たりを食らわせてきた。
技術も何もあったものではない、あまりに無造作すぎる攻撃。
しかし、全身を包む『気』の力に、圧倒的な身体能力から放たれる突進の勢いが加われば、それは充分すぎるほど脅威となり得た。
衝撃を殺しきれず、空き地の端まで吹き飛ばされた俺に、さらに渡瀬が迫る。
俺の頭を顔面から鷲掴みにして、渡瀬は俺を勢いよく地面へ叩きつけた。
「おいおい、もうダウンか?」
半ば馬乗りの体勢となった渡瀬の指に力が篭り、俺の頭蓋骨をミシミシと締め上げる。
激しい苦痛の中、頭に食い込んだ鋭い爪が皮膚を破り、血が流れる感触が加わった。
「30年も待たせたんだ、簡単に壊れてくれるなよォ……!」
哄笑する渡瀬から伝わるのは、あまりに強大な“力”。
しかし、そこには何もない。
あるのは、押し潰されるほどの脅威だけで。
拳に籠められたはずの想いは、何一つ感じられない。
違うだろう。
渡瀬が望み、亡き伯父が望んだ戦いは。
武術家として互いの全てを賭けていたはずの、この戦いは。
決して、こんな陳腐なものではないはずだ。
「……そちらこそ、これで終わりじゃないだろうな」
そう、ここで終ることなど出来ない。
戦いを見守っているはずの仲間達に手助けは無用と示すためにも、はっきりと声に出して言う。
同時に、俺は辛うじて動く足で大地を踏みしめ、『気』を放った。
吹き飛ばしは、己より力量の勝る者に対しては効果が薄い。
ならば、己を吹き飛ばすまで。
放った『気』は俺の体を真上へと浮かせ、そこに馬乗りになった渡瀬の体勢を崩した。
自らの攻撃でダメージは負ったものの、俺はどうにか渡瀬の手から逃れることに成功した。
即座に跳ね起き、間合いを取る。
「暫く会わないうちに腕を鈍らせたか? ――失望させるなよ」
なおも挑発する俺に向けて、渡瀬が歯を剥き出して笑う。
狂気に歪んだ口元は、喜んでいるようにも、泣いているようにも見えた。
「“情智”……ッ!!」
まずは、目を覚ましてもらわなければどうしようもない。
俺は、腹を決めた。
あえて防御の構えを解き、こちらに突進する渡瀬を懐に誘う。
狙うは、彼が拳を撃つ、その瞬間。
互いに防御を考えず、攻撃のみに費やした拳が交差する。
『気』を纏う渡瀬の正拳が、俺の鳩尾に深くめり込むのと同時。
練り上げた『気』を籠めた俺の貫手が、渡瀬の脇腹を捉えた。
「ぐ……ッ!」
俺の体内で、渡瀬が放った『気』が爆ぜる。
血の味が口中にこみ上げるとともに、体の中心から末端へと強い痺れが広がった。
――まずい。
ここで動きを封じられる事は敗北を意味する。
己が身を縛ろうとする痺れから逃れるように、俺は腹の底から吼えた。
一方、渡瀬もまた、体内で『気』が暴れ狂う苦痛にもがいていた。
獣のような唸り声に、時折、“情智”と伯父の名を呼ぶ声が混ざる。
それは、渡瀬の中でリビングデッドとしての本能と、もう一つの本能が戦っている証にも思えた。
呼びかけるなら、今しかない。
渡瀬の、もう一つの本能――“武術家”としての魂に。
死してなお追い続けた、ただ一つの執念に。
己を縛る痺れから脱した俺は、『気』で呼吸を整え傷を塞ぐ。
次の瞬間、俺は躊躇うことなく両手の武器を投げ捨てた。
〔続く〕