〔承前〕
温泉の華といえば露天風呂。
そして、ここ女湯では今、とりどりの花たちが咲き誇っているわけで。
「わーい、おっきなお風呂ー♪」
石作りの湯船に小さな体を沈めて、桜羅がはしゃぐ。
気温は先よりさらに下がっていたが、熱めの湯のおかげで寒さはさほどに感じない。
「折角の温泉だもの、心ゆくまで楽しみたいわよね」
桜を腕に抱き、ペット可の湯船にゆっくりと浸かるのは、はたる。
同年齢以下の少女に比べると大分落ち着いて見える彼女だが、内心では大所帯での泊りがけ旅行に心を躍らせていたりする。
実家ではもっぱら友達を泊める側だったし、学校行事や依頼を除けば、外泊の機会などなかなか無かったのだ。
そんな女の子達の様子を眺めて和みつつも、ふと俯いてしまう円。
(「華奢な女の子って、いいよね……」)
女性としては長身な自分へのコンプレックスが再燃したのか、しゅんと肩を落として湯に身を沈める。
「――神凪サン、どうかなさいましたか?」
「え、その、何でもない!」
首を傾げる勾音に、円は慌てて首を振る。
周囲からしたら逆に憧れの的だろうナイスバディの持ち主にも、色々と悩みは尽きないらしい。
そして、ペット可の湯船にもう一組。
いつも家で一緒に入っているのと同じようにして、ユエとモルモが仲良く温泉を堪能中。
「モルモ、いいお湯だねー♪」
「もきゅ♪」
本日一番の勝ち組はモルモさんな気がする今日この頃。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
一方その頃、男湯では。
目をまん丸に見開いた傘太が、飼い主に抱かれて猫生初の温泉を楽しんで……いや、ハッキリと怯えていた。
「お前……本当に図体の割に肝っ玉が小さい奴だな」
いかにペットOKの温泉とはいえ、中で粗相でもされたら堪らない。
湯船からペット用の木桶に移し、湯を少し入れてやると、ようやく傘太も少し落ち着いて。寅靖は、やれやれと湯に浸かり直す。
この4年で体に刻んだ傷は数知れず。公共の銭湯や温泉では、どうしても悪目立ちは避けられないため、こうやって人目を気にせずゆっくりできる機会は貴重だ。
背中一面の爪痕もそうだけど、胸のド真ん中を銃で撃たれた傷痕とか、物凄く説明に困るよね、うん。
そして人間専用の湯船では、高校生男子2人が並んで温泉にゆっくり……しているようにも見えるが、片方が心なしか沈みかけてるように見えるのは気のせいですか。
「なー、いち生きとー?」
「……油断すると意識飛びそう」
折角の温泉に生き返るどころか、早くも舟を漕ぐ寸前のいちるを眺めて、彩晴が僅かに眉を寄せる。
「温泉に溺死体とかマジ洒落にならんのやけど」
もちろん、水練忍者が本業の従兄が溺死なんてするわけが無いのは、彩晴も言うまでもなく承知しているのだけれど。
それ知らない人が、湯船の底に人ひとり沈んでいるのを見たら悲鳴あげるよね、きっと。
――だが、しかし。
そんな平和な空気も、この時まで。
ある男の爆弾発言によって、場の雰囲気は一変することになる。
「友よ……この先に何があるか知っているか?」
腰にタオルを巻きつけただけの格好で仁王立ちするのは、影郎。
あの、格好よく決めたつもりのところ申し訳ないですけど、全員にスルーされてますよ貴方。
しかし、この男がその程度でめげる筈もない。
「――そう、あの柵の向こうにあるのは女湯(パラダイス)!」
びし、と音が聞こえてきそうなくらいに、指で女湯の方向を指し示す。
それはそうと、女湯と書いてパラダイスとルビを振っただろう、今。
「何を言い出すかと思えば……」
心底呆れた様子で、まともに取り合おうとしない寅靖。
影郎は構わず、人差し指を立ててちっちっ、と軽く横に振った。
「君達は見たくはないか、たとえば赤髪の女子大生の豊満なバスト!」
――あ、いま誰か反応した。
「執事のお姉さんの実はすごいバディ! 少女から大人への階段を上り始めている中学生! そして、女子高生の……」
――ここで、別の一人にも反応が。
どの部分に誰がどう反応したかは言わないでおく、可哀想だから。
ホント恐姉トラウマ持ちも大変やねぇ、という呟きがどこかから聴こえたと思ったのは気のせいという事にしてあげてください。
「小学生……はやめておこう」
辛うじて幼女趣味疑惑は回避ですか、そうですか。
でも卒業生が中学生に言及した時点でアウトだと思うの、普通。
「こんなに一杯よりどりみどりな……ええい、止めるな!」
ここで、背後から寅靖の羽交い絞め。
じたばた暴れる影郎の首に、眠気も容赦も一切が吹き飛んだいちるの両腕が伸びる。
「――3分程潜水して貰えますか、耐えられたらどうぞ」
絶対零度まで急降下したいちるの声と同時に、寅靖が腕を放す。
直後、いちる本人もろともに、湯船へと垂直落下させられる影郎。
いかに空中戦の雄であるエアライダーといえど、水練忍者に水中に引きずり込まれては勝ち目は無い――と、誰もが思ったのだが。
――ざっぱーん。
「僕は……僕は、成し遂げるんだー!」
よりによって起動で脱出しやがったよ、この男。風呂場で。
というか、どこにイグニッションカードを隠し持っていたのか。
「覆面忍者ルチャ影参上、いざゆかん、禁断の花園へ!」
言うが早いが、影郎――ここは自己申告通りルチャ影と呼んでおこうか――は、軽々と柵を乗り越えて行ってしまった。
男湯と女湯が柵一枚でなく、ある程度距離が離れていたのは、この際幸運なのか、不運なのか。
「あいつ……! すまん尭矧、いちると傘太を頼む!」
タオルを素早く腰に巻き、ルチャ影の後を追う寅靖。
湯に沈んだ従兄を引っ張り出しつつ、彩晴がその背を見送る。
あれ、先輩も行くんすか、とはあえて言わない優しさ。
尭矧・彩晴とは、そんな気遣いの出来る少年である。
早々に我関せずを決め込んだとも言うが、この場においてそれはそれで正解だろう。
「――無許可で女湯踏み込む履き違うた男気なんぞアリマセンよ、と」
はい、一分の隙もない正論をありがとうございます。
――さてさて、女性陣と一部不届き者の運命はいかに。
〔続く〕