〔承前〕
それは、ユエの一言から始まった。
「……ところでさ」
布団を敷きながら、一斉にユエの方を見る女性陣。
皆の視線が集まる中、彼女は悪戯っぽく目を輝かせて言った。
「こういうところに泊りに来たら、枕投げするものだって聞いたんだけど……今回はありなのかな?」
しん、と数瞬の沈黙。
それを破ったのは、ハイテンションから未だ覚めやらぬ円だった。
「よろしい、ならば枕投げだ!」
「おー!!」
枕投げ大戦、ここに勃発。
「たのもー!!」
すぱーん、と小気味の良い音を立てて開け放たれる襖。
女性陣全員、枕を手に揃い踏みである。
「たのもーぅ。みんなで枕投げー、なんだよぅー♪」
「枕投げ? おーやるやる!」
男性陣の大半が呆気にとられる中、真っ先に順応したのは彩晴。
面白そうな事には全部乗る、それが彼のモットー。
「仕方がないですねえ。今日は疲れたからとっとと寝たいんですけど」
その次に口を開いたのは影郎。やる気のない態度とは裏腹に、既に押入れを開けて枕を次々に引っ張り出している。
もはや戦いを避けるのは不可能と判断して、いちるは深い溜め息とともに傍らの寅靖を見やる。
夕食後、(影郎に踏まれて)起こされ、自分の足で部屋まで戻りはしたものの……畳の上で再び沈没したきり、一向に目を覚ます気配がない。そのため、男部屋ではまだ布団も敷けずにいたのである。
どうか手酷い巻き込まれ方をしませんように、と内心で祈りつつ。いちるは寅靖の毛布を軽く直し、枕を手に取った。
「――真剣勝負!」
円の宣言をゴング代わりに、枕投げが開戦。
ルール無用、周囲は全て敵という、非情なバトルロイヤルである。
だが、それでも心情的に狙いやすい相手と、そうでない相手がいるわけで。
「……あの、皆さん僕ばかり狙ってません?」
次々と飛来する枕を身軽にかわしながら、影郎がぽつりと一言。
「え、気のせいだよ?」
「もきゅきゅ」
満面の笑顔で枕を全力投球するユエと、その隣でこくこく頷くモルモ。
言ってることと行動がまるで一致してないのは、気のせいじゃないと思います。
「わははははは、それは自分の胸に聞いてみるがいい!」
「影ちゃ、覚悟ー、なんだよぅ♪」
すかさず、円と桜羅の追い討ちが時間差で襲い掛かる。
やはり、ここでも覗き主犯に対する風当たりは強いようで。
「酷いなあ……よってたかって」
そう言いつつも、ちゃっかり寅靖を盾にしたり、巧みに集中攻撃を回避する影郎。寝ている人の近くでそんなに暴れると蹴りますよ……って、言ってるそばから思い切り蹴っとばしたし。
一方、自然とタイマン勝負に突入しつつある二人もいる。
日中の疲れに湯当たり、加えて元からの弱乱視で、ぶつけるよりもぶつけられる回数の方が多いいちるだが、それでも従弟だけは落とすとばかり彩晴を狙う。
対する彩晴もまた、ぶつける相手は選んでいるようで。今は従兄に応戦する形で、いちるに殆ど集中している。
「……だって女性陣に本気出すのもどうよと」
そこに伏兵、はたるが投げた枕(×2)がいちると彩晴の両者にヒット。
「平等に行きましょう、私にも遠慮は要らないわ」
ぶつける相手は選べても、ぶつけられる相手は選べないのである。
「影ちゃ、何してるのー?」
「塹壕作ってるんですよ、僕だけ集中砲火されるし」
桜羅の問いに答えつつ、布団を高く積み上げていく影郎だが。
布団の一番下をよく見ると、先ほどから身動き一つしないままの寅靖が、頭と足だけ出た状態で埋められている。
即席の『塹壕』に身を隠し、影郎がどこからか取り出したのは割り箸。
そこに細マジックできゅっきゅと何やら書きこみ、積み上げた布団のてっぺんに配置。
何が書いてあるのかと、桜羅が目を凝らせば――。
『ふちざきとらやすのばか』と、平仮名で書かれていた。
小学校の金魚の墓と同じレベルである。
「……縁起でもないからやめなさい」
年上相手でもまったく容赦のない突っ込みとともに、はたるが割り箸を没収。
「モルモ、行くよ!」
「きゅぴ!」
直後、『塹壕』を飛び越えたモルモと、ユエのコンビネーション枕アタックが綺麗に影郎に決まった。
一方で、流れ弾をナチュラルに避けつつマイペースを貫く者もあり。
「結構伸びてますね?」
桜を抱っこして、爪切りで器用に爪を切ってやっているのは勾音。
その傍らには、周囲の迫力にすっかり呑まれて怯えきった傘太の姿。少々気の毒だが、これが世間の荒波というものだろう。彼には、めげずに強く生きてもらいたいものである。
やがて、夜もすっかり更けてきた頃。
遊び疲れて、桜羅がうとうと舟を漕ぎ出したのを合図に、枕投げはようやく終戦を迎えた。
「お手洗いに行ってから寝た方が良さそうですね」
勾音に連れられ、眠そうに目をこする桜羅が女子トイレに退場。
「俺、飲む物買ってきますわー。確か表に自販機あったし」
「かなり動きましたしねぇ。折角温泉入ったのに、もう汗だくですよ」
彩晴が軽く伸びをしつつ言うと、影郎もつられて立ち上がり。それを見たユエが、モルモを伴って続いた。
「あ、俺もジュース欲しいな……」
「もきゅ」
3人と1匹が座敷を出た後、はたるがいちるを手招き。
「――いち、ちょっと」
温泉の一件で話があるのだけど、と耳元で囁かれて、いちるの表情が凍る。
当然逆らえるはずもなく、いちるはそのまま姉に連行されて廊下に退場。
桜も、目を覚まさない飼い主に呆れたのか、双子の後を追い襖の隙間をすり抜けていった。
座敷に残されたのは、眠る1人と猫1匹、そして――。
「おや、皆様どうかなさいました?」
桜羅を布団に寝かしつけていた勾音が、襖を開けた面々を見て一声。
缶飲料やペットボトルを手にしたユエとモルモ……はともかく、なぜか彩晴や影郎の姿も。
「遊び足りなくてトランプでもしたいって言うのでしょ、いいわよ」
彼らの後ろからそう声をかけたのは、はたる。無論、隣にはいちるを伴っている。
こくこく、と一様に頷く一同。
その様子を見て、勾音もそれ以上は訊かなかった。
嵐が過ぎ去り、すっかり静まり返った男部屋の座敷で。
円の膝に頭を預けるようにして、密やかな寝息を立てる寅靖の姿があった。
それは、(文字通り)踏んだり蹴ったりだった男がようやく得られた、一時の安息だったかもしれない。
〔続く〕